スコット雑誌社
朝の目覚めは旅行中で一番さわやかであった。あまり気分が良かったので、シャワーを浴びて部屋の中や持ち物を整理しておいた。ここ数日「部屋の空気に馴染んだなと思うと出発」の繰り返しであった。ニューヨークでは3泊したので、タンスの中へ着替えなどをかたづけしたが、ここシカゴではやめておくことにした。あすの朝は完璧なパッキングを強いられるからだ。"トゥルルルル・・・"福井氏からのロビー集合の電話であった。アトランタ以来のビトナー氏との再会である。彼はラッシュアワーで遅れたことを詫びられたが、まずオフィスへ行く前にざっとシカゴの街を案内してもらうことになった。 私は地図を片手に、今、車はどこを走っているのか確認しながらビトナー氏の説明を聞き、目は最大限に開いていた。シカゴは別名"WindyCity"といわれている。海のような大きいミシガン湖の風をまともに受けるからだそうだ。ヨットクラブから水族館まで約2キロメートルにわたりグラント公園がある。中央のバッキンガム噴水からはダウンタウンの街並みが見渡せ、世界最高のビル(443.2m)のシアーズ・タワーが見える。右手に左手にとビトナー氏の説明は続いた。シカゴ川を渡ってノースウェスタン大学の方まで行き、高級服飾店の並ぶ「ミラクルマイル」と呼ばれる目抜き通り、NCB放送局、ノースウェスタン駅を回って私達の車は高速道路に入った。 シカゴの西方17マイル、郊外住宅地。"Elm"は街のメインストリートの街路樹「にら」に、"hurst"はドイツ語の"Forst"に因んでいる。
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エルムハースト大学(1871設立)があり、主な産業として散水器(スプリンクラー)の工場がある。イリノイ・セントラル鉄道、ノースウェスタン鉄道が通っている。人口44,276人。 スコット雑誌社(Scott Periodicals Corp.)はそんな町にあった。ビトナー氏はその雑誌社の副社長兼"The Wholesalers"の出版責任者である。他に"Plumbing Enginner"など数冊の出版物を発行していた。2階の受付には"WELCOME"と私達4人の名が掲示されていて、私達はビトナー氏の心遣いに感謝し、うれしく思った。すぐ左の部屋が彼専用であった。
ビトナー氏が Wholesalers 出版担当の2名のスタッフを連れて戻って来られた。ひとりはヒゲをはやし、私達より少し若いウィンクラーという方で、もう一人はメリー・アンという女性であった。名刺に"Editor-in-Chief"と書かれていた。日本語に翻訳すると「編集長」ということになる。
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