6.フェアウェル・パーティ
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体で感じた巨大な国

  ノースウェスタン駅に着いた。改札口などでの切符の回収はない。実に合理的というか、衰退してしまった鉄道産業を感じさせる。とにかく私達はモンロー通りのパーマーハウスの方へ歩いていった。マンハッタンの高層ビルとは異なり、大阪に住む私にとっては歩きやすいように思える。人が少ないからだろうか。シカゴに来てから、くもり空のうっとうしい天候であったが、ダウンタウンのショーウィンドウは夕陽に照らされていた。
  パーマーハウスに近い「カーソンズ」という百貨店に入ってみた。店員さんもお客さんも黒人が多いのが目につく。私達は、いつの間にか家族へのおみやげものを捜していた。衣服などもアメリカ製はなく、ほとんどが香港、シンガポール、モーリシャス、台湾製であった。百貨店の上から下までゆっくりと見てみたが、結局、4人とも同じフロアーに集まり、それぞれの愛妻へブラウスやベスト、シャツなどを買った。
  外へ出るとすっかり日が落ちていた。家路を急ぐビジネスマン達のピークで、交差点には人が群がり、ステート通りのお惣菜の店では、仕事を終えたOLが列をなして並んでいる。橋本氏が、ショーウィンドウを見て立ち止まった。「あれにすれば良かったなあ」とつぶやかれた。見ると奥さんに買ったおみやげのことであった。とにかく、私達は荷物をホテルの部屋に置きに帰ることにした。
  ビトナー氏らとの昼食を終えたのが午後3時過ぎだったのであまりお腹はすていない。食事の時間までホテル内をぶらついたり、部屋に帰って身の回りをかたづけたりした。
  何もすることがないので、テレビをつけベッドに寝ころんで天井を見つめていた。・・・アメリカに来てはっきりしたことは何だろうか。

アメリカは日本の国土より広いこと。現金よりもクレジットカードの方が文字通り信用があること。ニューヨークのヒルトンホテルの裏通りに黒人のキャッチガールがいて腕を組まれたこと。アメリカでも問屋は今なお存在すること。某コピー会社のCMの高いビルディングが砕けるのは、いかにもアメリカ的であると感じたこと。アメリカは多種民族国家であること。
  この10日間、目で見、耳で聞き経験したことは、まさにアメリカに来て自分の五感を使ってじかに感じたことである。アトランタのASAショーを見学し、ヒューストンでは、ロッキーの山麓で生まれたクワーズというビールを飲み、ニューヨークではコンクリートのにおいを嗅ぎ、ここシカゴでは今、ホテルの部屋のテレビに目をやり、体はベッドの心地よいクッションを感じている。
  「トン、トン」というノックの音。"Yes"といってドアを開けると、ホテル詰めの制服を着たガードマンが立っていた。アル・カポネで代表されるギャングの街「シカゴ」の先入観が頭をよぎる。一瞬たじろいだが、何にことはない、ドアーがきちっと閉まっていなかったのだ。"Thank You" "You're Welcome"
  突然の侵入者に我に返ってしまった。今夜はアメリカ最後の夜である。4人で反省会というか「フェアウェル・パーティ-」を開くことになっている。場所は昨夜と同じ「やなせ」である。7時半に集合ということで下へ降りていくと、バイオリンの美しい音色が聞こえる。ピアノの伴奏付きで、パーマーハウスのロビーの雰囲気にフィットしている。軽いカクテルやバーボンを手にソファーにゆったりと座っている人、演奏者の熱演ぶりをじっと見つめている人、さまざまな人達が彼ら二人を中心にして、思い思いの距離を隔てて聴き入っている。そんな中を急ぎ足で通り過ぎることもできず、それなりの分別を持って気遣いながら外へ出た。