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ビトナー氏とASAショーで・・・左より私、一瀬氏、福井氏、ビトナー氏、橋本氏

10月31日のお昼に出発して、アトランタに着いたのが同じ日の深夜12時近く、11月1日から今日7日まで、予定通り消化することができた。明日はシカゴ郊外の"The Wholesalers"を出版している雑誌社を訪問する予定である。言ってみれば、商工経済新聞社の管材新聞を訪ねるようなものであろう。ただ、"The Wholesalers"は新聞ではなくて、A3判ぐらいの大きさの月刊誌を発行しているのが異なる点である。雑誌社とのアポイントは、まず、アトランタのASAショーで北沢バルブの方々に適当な雑誌社を選定していただき、出版責任者のビトナー氏に私達を紹介してもらって実現の運びとなった。
  日本料理店「やなせ」は、繁華街というよりビジネス街の中にあって、小さな看板が軒先に出ていた。「やなせ」の2階は全く日本の小料理屋そのものであった。ハマモト氏によれば、第一に価格が良心的で、一般の観光客はあまり利用しないそうだが、何よりも私達の気分を和やかにさせてくれたのは、気軽に入れて"日本料理店なのだ"というわざとらしさがなかったことである。ママといわれる人も1階のカウンターの中と厨房を行ったり来たりしていてレジも傍らに置いていた。私達の係をしてくれたウエイターは、近ごろブラウン管に出てくる時任三郎によく似ていて、声までそっくりであった。

  私達は、湯どうふ、すき鍋、寿司など適当に食べたいものを注文した。話すことといえば、明日の雑誌社の訪問のことと、80%やり終えたこのツアーの反省であった。雑誌社の訪問にあたっては、福井氏の存在はとても大きい。私達の4人の中では卓越して英語を話される。実際に、明日の時間的な打ち合わせは、福井氏が直接ビトナー氏と電話で交渉された。他の3人にとっては羨ましい限りである。
  アトランタでのASAショーは、もっぱら住設関連の管工機材展で、工業関連の化学、高圧、特殊弁関係がほとんど見かけられなかったのは残念であった。チャンスがあれば、そういう関連の展示会も見たいし、今度はそれに照準を合わせてツアーを組んでみたらという、まだ今回のツアーも終わり切らないのに、もう次のスタディツアーの構想まで出来上がってしまった。4人で向かい合って鍋をつつき、寿司をつまみ、ハマモト氏の知り合いだということで、銚子が4本もサービスになって、つい私達の食は進んでしまった。  パーマーハウスというホテルは、ヨーロッパ調で芸術的な造りである。採光の面などは、今までのホテルとは趣きが異なり多少暗かったが、落ち着いた優雅さを誇っている感じであった。中庭には温水プールがあり、スポーツ・アスレチックも完備されていて、ロビー横にはしゃれたアクセサリーの店もある。1階には、婦人服や書籍、日用品などの店をはじめ、ホテルの中にはレストランやナイトクラブもあり、GoGoの踊れるクラブもテナントとして入っていた。エレベーターの中には、それらの催し物のポスターが紳士的に掲示されていた。
  ヒューストンのホテルも私の気に入ったホテルであったが、このパーマーハウスも、時間が許せば何日でも滞在したくなるほど好きになりそうである。私が一番ホッとしたのは、ベッドの堅さ具合と大きさであった。今夜は久しぶりに、ゆっくりと眠れそうである。