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シカゴで2泊したパーマー・ハウスのロビー(絵葉書であるが日本で印刷されている)

ツアーは数日前に決定した

  私達のフェアウェル・パーティーのメニューは昨夜とほとんど変わらなかった。アメリカどの最後の晩餐は、アメリカ的にカントリーでも聴きながらというのが理想かもしれないが、やはり私達にとっては居酒屋風のこの店が落ち着く。「すべての行程が済んだ。これで日本へ帰れる」という気持ちが橋本氏、一瀬氏、福井氏、そして私の心の中にあった。バドワイザーで乾杯し、お酒を飲み交わし、寿司、鍋など肴が運ばれてくると、どこにこんな元気があったのか、10日間の旅の疲れも微塵とも見せず、「反省会?」がはじまった。
  福井氏は、まず何よりもこのツアーの人数が4人であったことが良かったと言われる。移動するにも食事をするにも適当で「Four is best.ですよ」と。また、旅に日数に関しても10日間が限度だとおっしゃる。

福井氏と私は血液型が同じでAB型で、お互い引き合うところもあり、顔色をうかがいながら牽制しあうところもある。仲が悪いというのではない。どちらかと言うとよく似ているのかもしれない。だから福井氏の見解は私も同感である。一瀬氏は、数年に1度か2度、アメリカに限らず海外事情を見聞することは、日本というものを静観でき、同時に業界、会社までも別の角度から観察できる。だから「今回のスタディツアーはプラスになると思いますよ」と。
  このツアーの企画は、主に橋本氏と福井氏とでスケジュールを組まれたが、当初、ASAショーが3日まで開かれている予定で、まずヒューストンに入り、アトランタ、ニューヨークの行程であった。ASAの展示会場は11月1日までという正確な情報を入手してからは、とくにお2人のコーディネイトぶりには頭が下がってしまう。10月31日に出発を繰り上げ、アトランタ、そしてヒューストン、ニューヨークに変更し、現地の方々と連絡をとっていただいた。実際にどのように動かれたかは私は存じあげないが、東京=大阪の電話代も相当なものであったと思う。橋本氏はマティニを飲みながら「出発7日前になってもはっきり決まらなくて」と、その時のことを思い出される。「でも、何も行き違いもなく無事ツアーを消化できて良かった」と微笑んでいらっしゃった。

中間業者は消滅する?

  7時50分、ロビー集合。シカゴ発10時10分シアトル経由成田行のUA143便に乗る。成田着11月10日、午後4時40分、JL434便に乗り換え伊丹着8時15分。入国手続。・・・アメリカスタディツアーも終楽章のコーダに入る。