目次へ戻る 第4章の先頭へ戻る 前ページへ戻る 次ページへ進む 第6章へ進む
40
ビトナー氏の部屋で・・・左からウィンクラー氏、私、ビトナー氏、一瀬氏、福井氏

  しかし、私達の熱心さに負けてか、話のつづきは食事の席で、ということになり、一緒にレストランへ出向いた。レストランでは、世間のこと、家族のことも話題になり、笑ったことのなかったウィンクラー氏も結婚の話になると笑顔が出た。スコット雑誌社で約3時間、ここレストランでの時間を含めると実に5時間も話し込んだことになる。
  ビトナー氏は来年の春、日本に来られるとのことで、私達は再会を約束してビトナー氏と2人のスタッフに別れを告げた。
  窓から見えるシカゴ郊外の町並みは今までと違った情趣があった。近代的な工場、高級とは決していうことのできない住宅群、木造のペンキの文字が見えなくなっている倉庫らしき建物、広場でバスケットをして遊ぶ子供達、道を歩くジーンズをはいた労務者風2、3人・・・。

  ノースウェスタン鉄道の2階建て電車はシカゴへと進んでいく。スコット雑誌社でもらった資料を膝の上に置き、ホッとした充実感で線路沿い特有の風景を目で追っていく。橋本氏、福井氏、一瀬氏も言葉少なく外の景色を眺めている。やはり10日間の日程を無事やりとげた満足感であろうか。それとも疲労感、脱力感か。
  商業の発達は、日本とアメリカではおのずから異なるようである。江戸時代から政治と商業との関係は、良きにつけ悪しきにつけ、わが国にはあったようで、今もその名残りはあるようである。しかし、ビトナー氏によると、アメリカでは行商による発達が主で、政治と経済の絡みはないといわれる。私の英語がどこまで通じたかどうかは疑問が残る。はたして2期目のレーガン大統領の対日政策はどうなるのであろうか。数時間前、スコット雑誌社で話したことを思い出していた。




エルムハーストからシカゴまでの切符、ノースウェスタン駅での回収はなかった