整理が十分に行き届いた400〜500坪の倉庫のまん中には背の高い棚が数個ならんでいて、専用のフォークリフトが往き来している。このリフトの底にセンサーがついているのと、アームに特徴があり、狭い通路でも商品が入出庫できるようになっている。継手の箱は、日本のものより若干大きく、3段、4段と縦横に重ね置きしても真四角になるよう箱の大きさが考慮してあった。
ハヤシ氏は、以前このオフィスにも勤務されていたが、今は"HITACHI METALS AMERICA"の重役で、N・Yにいるといわれる。会議室には先客がいて、ジョージア州のアトランタでのASAショーに来ていたトーマス氏、ヒューストンのオフィスのナガオカ氏、ジェフ氏の3人が打ち合わせをしていた。私達は、オカモト氏からアメリカでの商売上の習慣を説明してもらったり、マレブル継手の市場の相場を尋ねたりしていた。アメリカでは、世界の日立といえどもマイナーなメーカーで、バラ売りも時には強いられるという。
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打ち合わせが終わったらしく、向こうの3人が私達の中に入ってきた。ASAのことや、ヒューストンでのことなどを話したりしていた。たくさんの人に会って名刺交換して慣れてきたせいか、あいさつの言葉も抵抗なく出てくるようになったようだ。
ディナーは、彼ら3人も加わり9人で一緒にすることになった。世界で300以上あるヒルトンホテルは、ここニュージャージーにもあった。N・Yのヒルトンとは違って、ゆったりとした落ち着きがあった。席順はハヤシ氏の指示に従った。私の隣りに座ったトムはとても陽気で、かつて日本へ来たときの思い出をカタコトの日本語をまじえながら話される。オカモト氏も実に面白い方で、おとなしいジェフもトムとオカモト氏につられて笑顔を絶やさない。トムに日本製のマイクロカセットを見せると、日立の製品ではないので、これは韓国製だという。また、タイピンタイプになっているセパレート・マイクに向かって「ワカリッマセン、スミマセン」と単語を連発する。屈託のなく誰とでも親しくできるタイプで、うらやましい限りであった。
レーガンの大勝利
午後6時から9時まで時間をかけた食事は終わった。トムとオカモト氏があわててレストランから出ていった。何かなと思ってロビーの方へ歩いていくと、"Reagan Won!"と大きな声を発しながらこちらへ戻ってきた。こんなに早く結果が出るとは思ってもみなかった。オカモト氏に尋ねるとレーガンの大勝利であるという。アイゼンハワー以来の二期連続である。
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