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偶然にも今・・・

  ガサガサした倉庫からドアー1枚開けると明るいコンピュータの部屋であった。データ保存用の磁気テープ装置、固定磁気ディスク装置がそれぞれ4台ならんでいた。コンピュータ担当の男性1人がいてすべての装置を管理していた。隣りの部屋では、2、30人の女性が伝票発行のためキーボードを打ったり、マイクロフィルムとの照合をしている。中年の女性から若い女性、黒人までいて、見るからに個性豊かなキャリア・ウーマン達であった。
  はじめに入ったオフィスは、その部屋の隣りにあった。営業担当の机の上には、マイクロフィルムのディスプレイがあり、書類やカタログが山積みにされていた。社長のフィンケル氏の机も同様であった。"Davis & Warshow"の創業は1925年だといわれる。わが社は1920年創業で、私が3代目だから、おそらくフィンケル氏もそうだろう。
  かつて橋本氏はこのフィンケル氏のお父様に会われたといわれる。そういえば、"Davis & Warshow"と橋本氏の会社とは、取扱商品や配送業務などが似ているような気がする。橋本氏の会社は、私たち管工機材同業の最大手の1社。東陶、住金、セキスイ、エバラなどの代理、特約店で、橋本氏は4代目である。橋本氏は私と同い年で、東京大学時代にはヨット部に在籍していたと聞く。ちょうど私が慶大在学中、管機連の会合が東京で開催され、私の父も上京していた。父は半蔵門前の東条会館まで来いという。とにかくノコノコと行ってみた。「この方が橋本さんや」といいながら私を紹介した。このときが橋本氏のお父様との初対面であった。偶然にも今、一緒にアメリカに来ている。何か因縁めいたものを感じてしまう。
  11時過ぎ、フィンケル氏とさよならのあいさつをし"Davis & Warshow"をあとにした。

Davis&Warshowの社内で・・(この女性はマイクロフィルムと伝票を照合し、コード番号を付記するのが仕事。長いツメが気になる)
Davis&Warshowの社内(この女性はマイクロフィルムと伝票を照合し、コード番号を付記するのが仕事。長いツメが気になる)


信用第一

  商売人とユダヤ人は切り離しては考えられない。現在、アメリカには総勢610万人ぐらいのユダヤ人がいるとされているが、全人口の3%にも満たない少数民族集団である。しかし、実に強大な力を持っているという。とくに、N・Yには240万人近いユダヤ系が住んでおり、全市民の4人に1人はユダヤ人だといわれている。
  かつてユダヤ人は、宗教的な理由で迫害を受けたが、知識人として、また機敏な商人としてある程度優遇されていた。しかし、6、7世紀にはユダヤ人とキリスト教徒との結婚、医者として働くこと、官職に就くことなどが法令によって禁止されるに至った。西ヨーロッパを発端として、12、3世紀には東、南ヨーロッパ各地でも閉め出しが厳しくなった。ギルドから排除され、土地所有も認められず、逃げ道は小売業、行商や質業、金融業しかなかったといわれる。ただ、キリスト教会が金銭の貸し借りを禁じていたためユダヤ人だけが高い利子を取って金貸業を営むことができたという。しかし、そのことがかえって反感を煽る結果となったのである。