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  誰でもかれでも入場できるのではなく、前もって登録制になっていて、出展メーカーからの招待者か、公共団体や組合の代表しか入場資格はなく、入場者を厳密に選定するというやり方であった。
  橋本氏が北沢バルブの3人を引き連れて受付へ戻ってこられた。「2人招待」ということになり半額となった。85ドル** でも高いことは高いが全額払うよりはましである。
  展示会場は、日本のそれよりも広く、ブース1単位も日本の4倍はあった。通路もブースも日本と同じように並んでいるが、すべてじゅうたんが敷いてあり、権威のある展示会という印象を受けた。
  展示内容については日本とあまりかわらず、ただ国土が広いだけあって、同機種の特殊バルブであってもメーカーが数社出展していた。出展業者の中には、すばらしい感覚でブースのレイアウトがほどこされていたところもあったが、日本のようにビデオを使ったりしての会社案内は見かけなかった。お祭り的な要素は全く見受けられず、ほとんどの人がネクタイに上着着用でビジネスに徹している姿には感銘を受けた。私達日本人に対しての親しみはあるようで、”ジャップ”というような軽蔑的な歓迎はなかった。私の名札に「VALVE」の単語が書かれてあるのを見つけると、口調を高めて説明してくれるし、本当に丁重であった。
 ある水栓バルブメーカーで質問してみた。
「このバルブは台湾で作っているのですか」
「たしかにそうです。しかし、保証はアメリカのわが社でやっています」
** 当時の為替換算レートは1ドル=255円でした。

日立金属ブースでの一瀬氏

  普通、私達日本人の感覚だと、台湾製や東南アジア製だと一種特有のニュアンスで「〇〇製か」となってしまって話が前へ進まないことがあるようだ。実際に、アメリカのNIBCO社のバルブを台湾と競争でわが社も見積もったことがあるが、価格面でついていけなかった。今や、私達は発展途上国の諸製品に対する偏見を捨てて冷静に物事を見つめ、世界に通用する”国際感覚”を持つべき時ではないだろうか。
  昼食も抜きで400小間はあるブースを回ったが、陶器関係、工具関係までゆっくり見て回るには時間的に十分ではなかった。集中力もなくなってきたので会場の簡易レストランで一息入れることにした。
  移動時差の疲れも出さずに、予定通りPHCP EXPO'84を視察できたことはなによりも得難い経験であった。