は じ め に |
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昨年(1984年)の秋、アメリカから帰ってきてすぐ、商工経済新聞社の酒井さんと喫茶店でコーヒーを飲みながら現地で体験してきたことを話していたところ、「紀行文でも書いてくれませんか」と頼まれてしまった。はじめ冗談のつもりで受け流していたが、そうこうしているうちに『アメリカ・スタディ・ツアー』という題字もできあがってきたし、年内にあげてくれと言われる。年末の忙しさや落ちつきのなさ、バタバタを考えるととうてい無理な注文である。「お正月の休みに書くよ」と約束して、早速、記憶の残っているうちに下書きのメモだけしておいた。 |
管材新聞の連載は2月から8月まで20回を数えた。連載中、拙稿に対して、いろいろな方から「読んでますよ」「何日間行かれたのですか」「本にすれば・・・」という喜ばしい励ましの言葉をかけてくださったが、本を出版するということは、その分際でもなく考えすらしなかった。ちょうどその頃、父聡一が大阪府知事より産業功労者として表彰された。そして、その父は今秋10月20日還暦を迎える。時には偉大な心をのぞかせる父、時には老将たる寂しさを見せる父・・・。いうまでもなく、私がアメリカ視察旅行の11日間もの長い間、留守をすることができたのは、何よりにも父の寛容さが私のわがままを許してくれたからで、また社内の諸兄も快く理解してくれたからである。 川 村 耕 一
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