沿革・歴史
1895年[明治28年] | 川村昌幸 滋賀県犬上郡彦根町大字旗手50番屋敷に生まれる | |
1908年[明治41年] | 川村昌幸 西区立売堀5丁目、吉春商店にて奉ずる | |
1920年[大正9年] | 川村昌幸 大阪市西区新町南通5丁目で 月星フランドのバルブコック専門卸商 川村昌三商店を創業 |
創業者川村昌幸 |
1933年[昭和8年] | 現在地に移転月星型録バルブコックNo.25を発行 | |
1938年[昭和13年] | 株式会社川村昌三商店と改組する | |
川村昌幸 大阪バルブ・コック卸商業組合の理事を拝命する | ||
1945年[昭和20年] | 空襲により、店舗、倉庫全焼 | 復興後の仮店舗 |
1947年[昭和22年] | 川村聡一 現在地にて川村昌三商店の営業を再開 | |
1950年[昭和25年] | 株式会社川村バルブに改組 川村聡一が代表取締役に就任→株券 | |
1951年[昭和26年] | 協力工場中外バルブ製造がJIS表示許可工場となる | |
1959年[昭和34年] | 川村聡一 大阪バルブ継手ポンプ商業協同組合の監事を拝命する | |
1961年[昭和36年] | 鋳鉄弁専門の彦根工場を開設 | 当初の本社ビル |
1962年[昭和37年] | 川村聡一 大阪バルブ継手ポンプ商業協同組合の理事を拝命する | |
1964年[昭和39年] | 川村バルブ本社ビル新築 | |
1966年[昭和41年] | 創業者川村昌幸 死去(10月) | |
1967年[昭和42年] | 本社倉庫新築 | |
1969年[昭和44年] | 彦根工場を独立させ月星バルブ株式会社を設立(3月) | 1970年[昭和45年] | 津守倉庫、天王寺倉庫を新築 コンピュータ委託計算導入 月星バルブ総合カタログ'70を発行 | 二代目 川村聡一 |
1972年[昭和47年] | 川村聡一 大阪管工機材商業協同組合第7代理事長を拝命(2期4年) | |
1973年[昭和48年] | 西税務署長より優良申告法人の表敬を受ける | |
1978年[昭和53年] | 協力工場中外バルブを閉鎖 | |
1983年[昭和58年] | コンピュータNEC100を導入 販売、商品管理の確立 | |
1984年[昭和59年] | 川村耕一 アメリカ事情視察、管材新聞に『アメリカ・スタディ・ツアー』を 執筆連載(翌年8月迄) |
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1985年[昭和60年] | 川村耕一 代表取締役専務就任 | |
川村聡一 大阪府知事より産業功労者表彰受章 | ||
1986年[昭和61年] | 川村聡一 代表取締役会長就任 | |
川村耕一 代表取締役社長就任 | 三代目 川村耕一 |
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1987年[昭和62年] | コンピュータNEC3100を導入 月星バルブをツキボシコーポレーションと社名変更 |
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1989年[平成元年] | (株)カワムラに社名変更 コーポレートロゴ、スローガンを定める ”カワムラはACTします For The Amenity Creative Technology” |
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1992年[平成4年] | 川村聡一 通産大臣表彰 川村耕一 大阪管工機材商業協同組合の情報化推進委員を拝命 | |
2000年[平成12年] | 創業80年を記念してウェブサイトを開設、運用を開始 社内LANを構築 | |
2002年[平成14年] | 川村耕一 大阪管工機材商業協同組合の理事、情報化推進委員長を拝命 | |
2004年[平成16年] | NEC Express5800を導入 ウェブサイトにて見積、お困りごとサービスを開始 |
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2005年[平成17年] | 川村聡一 相談役就任(8月) (株)アスコットの新連携事業に参加する |
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2007年[平成19年] | ウェブサイトを移設拡張 社内にセキュリティーシステムを設置 IP電話を開設 |
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2008年[平成20年] | 川村耕一 大阪管工機材商業協同組合の会計理事を拝命 | |
2010年[平成22年] | 創業90年、株式改組60年を迎える | |
2014年[平成26年] | 基幹システムを"ASPAC"にリプレースを決め、それに伴いツキボシコーポレーションを解散する | |
2015年[平成27年] | システム"ASPAC"が稼働する(8月) 二代目川村聡一 死去(9月) |
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2019年[令和元年] | 川村耕一 大阪府知事より産業功労者表彰受章 | |
2020年[令和2年] | 創業100年、株式改組70年を迎える 管材新聞の記事 コインパーキング事業を開始(6月) |