大阪産業創造館 あきない・えーど  2002.5.7


「一代目、二代目、三代目、・・・四代目」
第四十四話 株式会社カワムラ
川村 耕一 社長

著: 「あきない・えーど」所長 吉田雅紀

今回、ご紹介するのは株式会社カワムラの川村耕一社長です。カワムラさんはバルブ(バルブでっせ。バブルと違いまっせ)を中心にした配管材料の総合商社です。
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大正9年にお爺様が創業したはります。川村社長は3代目。そんな川村社長が開口一番「いや〜最近、元気出てきたんですわ。実はこの一月から親子三代で働いてますねん。ひとつの仕事を親子三代でやれる。ありがたい話です」と言わはりました。「よっしゃ、元気な社長や!」思わず心の中でガッツポーズ。「今日も元気な社長を見つけたぞ!」

大正14年生まれのお父様が76歳。川村社長が昭和25年生まれで51歳。今、一緒に仕事してはる息子さんは次男さんで昭和52年生まれの25歳です。

川村社長とこは男ばっかり3人の息子さんがいはります。誰が事業を継ぐかは兄弟会議を開いて決めたらしい‥?と川村社長は言ってはります。実際はよう知らんらしいです。川村社長は長男が継ぐのかな?と思ってたら、結果的には次男がカワムラに入社することになりました。

その次男さんのことをベタ褒めしてはりました。親ばか(社長!ごめんなさい)なんかも知れませんが、僕的にはそんな川村社長がめっちゃ好きです。よう、息子のことを「あれはあかん!」とか「まだまだ‥」とか言って人前ではまったく褒めないオヤジさんもいますが、僕はいいところは素直に褒めてやったらいいと思てます。僕の性格が「豚もおだてりゃ木に登る」なんで、そう思うのかも、知れませんが‥(笑)

川村社長は自分のことをシナリオライターやって言っておられます。一から十まで、読み込んで、作戦作って、それから実行する。作戦通りに事業が進むことが面白いと思うタイプやそうです。お父様は反対で「感性の人」です。そやから、議論したら川村社長が勝つらしいです。(笑)社長の交代時期についても3年ぐらい前からオヤジさんに根回してて、「そろそろ、今年ぐらいに交代しょうか」ということで、計画通りに昭和60年に社長を引き継いではります。お父様は「感性」で勝負。ご自身は「シナリオライター」諸葛孔明みたいな策士。息子さんは?と聞くと「あいつはすごいです。三人兄弟の真ん中で上と下を見て育ってますから、周りがよう見える男です。特に下のもんに対する心づかいというか配慮は自分の息子ですが、びっくりするくらいよく見てます。しっかりしてまっせ。」‥ということらしいです。親ばか(ごめんなさい。また言うてもた)かも知れませんが聞いてて気持ちがいいです。

そんな川村社長ですが、大学を卒業して会社に入るなり、事業の構造改革を始めはります。お父様が作られた物を壊して、新たなスタート‥。さて、この大英断!吉と出ますか?凶とでますか?

株式会社カワムラのルーツは大正9年に今の川村社長のお爺様が配管材料のブローカーとして創業しはった「川村昌三商店」です。その後、問屋から製造問屋に成長しました。「製造問屋」懐かしい響きですよね。今風に言えば「ファブレス企業」です。なんも、米国のマーケティングなんかに学ばんかて、日本の製造問屋の歴史は江戸時代にその起源があります。

その後、第二次大戦を経て、川村昌三商店は株式会社川村バルブとなります。二代目のお父様が製造問屋ではあかん!製造問屋、言うても所詮問屋は問屋。これからはメーカーの時代や、メーカーになろう!と問屋からメーカーに転進しはります。これも今風に言えば「経営革新」です。次の時代を生き抜くために事業創造しはった訳です。そして、お父様は「月星印」のバルブコックを業界のブランドに育てはりました。

三代目川村社長は昭和48年に大学を卒業して川村バルブに入社。彦根の工場に配属になりました。そこで見たものは旧態依然とした町工場でした。この技術なら近い将来アセアン諸国が追いついて来る。そんな危機感から次の時代に通用するカワムラのシナリオを書き始めはります。それは、商社への転身です。お父様ががんばってメーカーにしはったやつをもう一度問屋に戻ろうというシナリオでした。そして、昭和53年には彦根の工場を閉め、それから10年かけて商社に業態変換していかはります。

川村社長はその時のことを「吉田さん、商社とメーカーでは文化が違うんですわ。商売の根本が違う。メーカーなら今の儲けが少なくても将来のリピートまで考えて自社商品を売る。でも、商社なら何も考えずに今の利益の多い方を選ぶ。この違いを体が覚えるまでに10年かかりました」

そうなんです。業態を変えるとは企業文化を変えると言うことですから、そんなに簡単には行きません。それを、次の世代を生き抜く為にお父様も川村社長もやらはりました。口で言うのは簡単ですが、やるのは、・む・つ・か・しおまっせ!

川村社長は事業の後継者としてこんなことをおっしゃってました。「やっぱ、うちで言うたら、おじいさんですか‥創業社長というのは偉いです。何もないところから作ったんですからね。その意味ではオヤジも僕も継承者という意味では同じです。その時代や自分の強みが違うだけやから、表現方法が変わるということやと思います。僕も一時期、オヤジに負けたらアカンみたいにちっちゃいこと考えてた時期がありましたが、ライバルはオヤジやないんです。ライバルはその時代であったり、事業であったり、自分自身ですわ〜」
川村社長、いいこと言わはる。まったく同感です。
そんな川村社長がこの取材のお礼メールを下さいました。
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吉田様、増田様、大江様
今日は、雨の中お出ましいただき、ありがとうございます。
吉田様の取材を受けて、今までのことが整理整頓されて、
脳細胞が並び替わったようで、頭がスッキリとハッキリとしたようです。
創業80有余年ですが、あと20年、創業100年に向けて
頑張ろうと決意をしたところです。
また、お会いできることを、楽しみにしています。
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こちらこそ、ありがとうございました。
いや〜、決意しはりましたか!また、元気になりましたね。
また、お話、聞かせて下さいね。
当日はお忙しいのにありがとうございました。
こちらこそ、今後ともよろしくおねがいします。

PS
がんばって僕も生きますから、生きてたら、100周年記念パーティよんで下さいネ。


■四代目のコメント■

最近よく会社のシステムについて考えることが多いです。
大学で文章上の会社のシステムを学んだけれど実際はもっと複雑になのか単純なのかわかりません。 結論として会社をおこして継続させるためにいろいろな問題がでてきてそれを解決し ていくことで会社が成長していくのではないでしょうか。一代や二代くらいで会社のシステムや業務的指導がちゃんとなっていくものではないなと思います。一代目ができてないところを二代目が直し、二代目ができていないところを三代目が直す、これの繰り返しで会社の方向性が確立していくのだと思います。


■「よしだが行く!」鞄持ち後記■
第44話 ムーウ゛ 大江智行


初めまして、今回名誉ある吉田所長の鞄もち(とはいいましても、吉田所長は鞄をお持ちではなく、自分の大きな鞄だけでなんだか申し訳なかったです。)を初体験させていただきました“ムーウ゛”の大江と申します。弊社は、撮影のプロデュース・コーディネートを生業としています。簡単に申しますと、写真撮影業と思っていただければ結構です。

お伺いした先は株式会社カワムラの川村社長のところです。
(株)カワムラ様のことにつきましては、吉田所長が解りやすくご説明下さることでしょうから、私はもっぱら、感じた事を正直に書かせていただきます。

川村社長にお会いした第一印象は、「体の大きな方だなー」。私は、身長175cmで縦には少し高いですが、社長は横幅もあり、さすが社長の貫禄で非常にわかりやすい。

ご挨拶をし、その後は川村社長と吉田所長のスピード感のある、とってもためになるお話がつづきます。吉田所長は本当に取材の上手な方で、次々と絶妙のタイミングでお話をお聞きになります。また、川村社長も非常に解りやすくお話になります。

普段ですと、ついつい口をはさみ、話にめり込む私ですが、お二人のお話がとても興味深いおはなしでしたので、出るまくがございませんでした。グイグイとお二人のペースでお話が進み、あっ、という間の2時間でした。

お話は、株式会社カワムラ様が、時代の中で非常にうまく変化し、継続してこられた事や、吉田所長の経験・体験談等、今の私にとって、一番興味のある内容でした。

隣で大人しくしている私に、吉田所長が、「何か社長に質問等ありますか?」と、話のきっかけをふって下さいましたので、とっさに、「社長の原動力は何ですか?」と聞いてしまいました。

川村社長は、少しお考えになり、いきなり「寝る事」と、おっしゃいました。その後、沈黙が約3秒あり、「悩み事を夜に考える事は、ついつい悪い方向に物事を考えがちで良くない。気持ちを切り替え、早く寝て、早く起きて、次の日に会社の周りを掃除してみたりしながら考える事が、私の原動力です。」

なるほど。とっても分かりやすいためになるお話だと思いました。ありがとうございます。私はあまり悩まない性格ですが、それでもそんな日が時々きます。今後、そんな時は、焦らず社長のお話を思い出して、気持ちを切り替えて寝ます。

もう一つ私が感じたことです。よく聞くお話の中で、神輿を担ぐ役とそれに乗る役、などを会社に置き換えて話されるケースがありましたが、川村社長は、本当は神輿に乗る事より、担ぎ手の方がお好きではないかなー、と感じました。

ご自分でもシナリオライターと自らの事を表現しておられますように、今までは、ご自分のシナリオでご自分が役を演じてこられましたが、いよいよ4代目を迎えられて、すばらしい役者の為にシナリオを書く楽しみを心から喜ばれている様に感じたからです。

継続は力。世のため、人のために考えてこられた川村社長。 お体に気をつけて、今後もすばらしいシナリオをお書き下さい。