|
1.
国会が解散して小選挙区制になっての衆議院の選挙戦がはじまろうとしているとき、商工経済新聞社主催のシンガポール・インドネシアの実情視察に出発した。インドネシアの国民車問題がWTOで取り上げられた時でもあった。 * * *
定刻16時25分に関西空港を離陸したNH111便は、剣山を右手に見て、綿のようなじゅうたんの上を快適に飛ぶ。飛行は穏やかだ。機長のアナウンスが入る。「只今宮崎の上空。シンガポールには現地時間21時40分に到着する予定。途中気流の関係で揺れるかもしれませんが、ほぼ快適な空の旅を満喫できるでしょう。」 * * *
シンガポールの北端のウッドランズにあるOKAMOTOシンガポールを訪問した。工業団地の中にある立派な工場であった。 * * *
昼食を済ませた後、タンガロイ精密をたずねた。雨が降ってきていたが、明らかにインド系と分かる守衛の方が外へ出てきて誘導してくれる。ティア社長とナンバー2の高橋さんが迎えてくださり、2階オフィス奥の会議室に通された。名刺交換のあと、高橋さんがOHPで親会社の東芝タンガロイのことや、ここシンガポールの工場の概要を説明してくださった。
ブラザー工業はこの4月にこのシンガポールへ進出してきた企業で、主にASEAN諸国の営業と、技術指導やメンテナンスを行なう。より近いところでユーザーさんにサービスをしようという目的で出された。ここは、そもそもウェアハウスの団地で、部品供給のできるテクニカル・センターとなっている。 |
4
シンガポールでの企業訪問の予定は終了した。ホテルに戻ってゆっくりしたいところだが、そうはさせてくれないのが、海外旅行のツアーだ。現地の添乗員にとっては都合がよくない。だが、ここまであからさまにやってこられると、こちらも少々面白くない。 * * *
ホテルに帰って、パジャマに着替えて、一息つく。一番ゆっくりするときだ。缶ビールを飲みながら、今日の訪問先で感じたこと、思ったことをパソコンに入力する。一瀬さんがバスに入っている間に、明日の荷物を整えておいた。 * * *
シンガポールの朝は早い。朝7時から向かいのビルの建設工事の音がする。赤道直下の街だから1年を通じて日の出、日の入りがほぼ一定だ。最長日と最短日の差は9分間しかない。日の出はおよそ午前7時、日の入りは午後7時となっている。
5 午前10時30分、SQ154便搭乗開始、11時15分離陸。時間を1時間遅らせて西部インドネシア標準時に合わせた。機内では、食事が運ばれてきていた。
6
日本企業の海外進出の最も重要なメリットは何か?それは国境間のサヤと時代間のサヤである。国境間のサヤは賃金や物価の格差で得るメリットで、非常に分かりやすい。
ジャカルタのシャングリ・ラ・ホテルにチェックインをして、すぐに友人の大西君に電話をした。今晩会おうと言う。食事の後、ホテルで、ということになった。彼はこの6月よりジャカルタへ来ている。大阪でプレス加工と金型を製作している鉄工所の社長であるが、日本は弟に任せて、社員1人と伴にインドネシアと日本の合弁会社を起こしにやってきた。実にパワフルで行動力のある人物だ。 |
7 次の朝、地下一階のバイキングで食事をした。シンガポールと同系のホテルなので、レイアウトがよく似ている。視察旅行も4日目で体が旅行に慣れてきた感じだ。錆付いていた英語も、発音、文法もむちゃくちゃではあるがスムースに出てくるようになった。それは、昨夜カラオケを歌って舌が回るようになったのかもしれない。今日の予定は、ジャカルタ国際貿易展示場に行って、昼からは政府関係の省庁局を訪問することになっている。
* * *
相も変わらずジャカルタの道路は混んでいる。このメインストリートでは交通渋滞を防ぐため、3人以上乗っていない乗用車は通さないルールになっている。その影響で道路には立ちん坊がいて、一緒に乗って規制された道路を走る。メインストリートを走り終えれば、某の報酬をもらって降りる。こんなビジネスが発生する。なにかしら、納得がいく単純なビジネスで、思わず笑ってしまう。なんとインドネシアの人は、善人なのか、人柄のよさを感じる。 * * *
ジャカルタ国際貿易展示場は、旧空港の跡地のど真ん中にあった。日本人スタッフの猪俣さんとインドネシアの関係者の方々6名が迎えてくださった。猪俣さんから、ここの会社の歴史、日本とインドネシアの出資比率など目的、設備、概略や将来構想の説明をしていただき、そのあとこの八日から始まっている機械装置、部品の展示会を見ることになった。 * * *
街には所々、衛星テレビ用の大きなパラボラ・アンテナが、屋根の上、あるいは鉄塔を立ててほぼ真上に向けて設置してある。エディは「お金持ちの家しかアンテナはつけられないし、値段が高くて、だいたい小さいので40万、大きくなると100万円ぐらいします」と説明してくれる。インドネシアの平均的な給料では、買えない代物だ。 8 午後、こちらの通産省の輸出入振興局を訪問した。局長のツルキフリさんと部長のライラさんが応対してくださった。通された局長室にはスハルト大統領の写真と右側にトリ・ステレスノ副大統領の写真が飾ってある。ここではガイドのエディに通訳をしてもらうことにした。 * * *
インドネシアでは、多数決で物事を決めるのではなく、全員で合意するまで繰り返し話し合うことが重要とされている。ある日系企業で賃上げを決める労使交渉が決裂し、労働省に調停を依頼した時の会話である。 * * *
機械金属化学工業局を訪問した。先ほどの輸出入局と違って雰囲気に活気を感じられた。通産省の9階にあったが、ここの会議室にもスハルト大統領とトリ副大統領の写真、スマトラからパプアニューギニアまでのインドネシアの地図が飾られていた。
* * *
ジャカルタ市内には、路線バスは走っている。クーラーがついているのは、乗車賃が高い。オンボロバスも走っているし、ドアーのところにぶら下がるように乗っている若者もいる。高校生の間で、曲芸のように乗ったり、無賃乗車が流行っているそうだ。 9
続いて訪問した投資調整庁(BKPM)は、各々にマイク設備のある会議室に通され、インドネシアと日本の旗がテーブルのセンターに飾ってあった。政府関係の会議室には、必ず大統領と副大統領、インドネシアの地図が掲げてある。
* * *
1989年12月、シンガポール政府によって発表された「成長の三角地帯」構想は、シンガポールとその北に隣接するマレーシアのジョホール州、そしてシンガポール海峡を隔てて南西に位置するインドネシアのバタム島とビンタン島を中心とする地域、この3地域を、関係3カ国の協力で工業、貿易、観光の一大中心地として総合開発し、成長させようというものである。 * * *
輸出入局で局長室にあるのトイレを借りたが、ホテルのバスルームほどの大きさで、浴槽もあった。洋式のトイレの横に水桶があって、手桶が無造作に置いてある。右手で水を汲み、それを流しながら、左手で不浄な部分を洗うのです、とガイドのエディは笑いながら説明はしてくれるが、実演はしてくれないので、ピンとこない。これから風呂に入るときや、下半身がヌードであれば、水で洗っても服は濡れないので構わないが、ズボンを半分ずらしていては、どのように洗うかは非常に難しい。エディは、日本にいた1年間は非常につらい思いをしたと言う。紙で拭くよりは、水で洗うほうがサッパリとすがすがしく衛生上よろしい。と。思わず納得。 |
10. 今日は、ジョグジャカルタまで足を延ばして観光の一日だ。空港より国内線に乗る。約1時間の空の旅だ。ガルーダ航空のスチュワーデスがどことなくツンとしていて、表情が乏しいのが気にかかる。 11. ジャカルタ最後の日は、ポンプのEBARAインドネシアと昼からはインドネシアの大手企業ブカカを訪問する予定だ。 * * *
ジャカルタ市内に戻って、昼食を食べた。一昨日、昨日より体調のすぐれない方も出てきて、何か私も胃腸がおかしくなってくる気配。でも、あと20時間経てば、我が家に着くと思うと、元気が出てくる。
12. 大阪組は無理を言って、今夕のジャカルタ発のSQ便、シンガポール経由、NH便で日本へ帰るので、スカルノ・ハッタ国際空港までバスで送ってもらった。早めにスケジュールを消化できたので、空港には、十分、余裕をもって間に合った。落合さんとガイドのエディに再会の固い握手(右手で)をして、出国ゲートをくぐった。
[あとがき]このツアーでたくさんのことを教わり、気づきました。一緒に同行された方々をはじめ現地で頑張っている邦人の方やシンガポール、インドネシアの方々にも、同じアジア人として、学ぶところがたくさんありました。また、この手記を編集するにあたりまして、同行されました商経の舟橋さんはじめ、プレス・スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。 参考文献 |