China Trend Report     2004.6.22 〜 27


1.スマートに変身を遂げたか、中国!  −慢性的な水と電力不足

掲載紙・管材新聞8月4日号  昨年9月から入国ビザが不要になり、中国への垣根が低くなった。SARSの影響で観光客が著しく減ったためと言われているが、今回の視察は、以前とはちがって、発展途上の活気ある中国を見るべく、商工経済新聞主催の中国視察ツアーに参加した。
  大連と北京の2都市を訪問するのは、実に11年ぶりとなる。大連は2回目、北京は3回目となる。10年ひと昔というが、どれだけ様変わりをしているのだろうか?視察ツアーに参加してチャイナ・トレンドを探ってみたいと思う。
  水不足の中国、電力供給が不安定な中国、貧富の差がひどすぎる中国・・・と、実際に中国を体験した自らの感覚と、マスコミや友人から入手した情報が、頭の中で交錯している。また、中国と実際に取引きを進める上での、成功談や失敗談なども自分の目で確かめてみたいと思うし、中国気質にも触れてみたい。幸いにも数社の日系企業を訪問するので、そういう所を学べるだろうと期待に胸をふくらませる。

大連国際空港  視察第1日目、大連空港から市内へ続く道路は整備され、拡張され舗装されていた。埃っぽさが少なく感じられる。高層アパートが建ち、洋風の住宅も目に入ってくる。夕方の市街地では、仕事帰りのワーカーが、家路に急ぐ。自転車や単車もそこそこ見うけられるが、トラックよりも乗用車が増え、自家用車の多さにビックリしてしまう。実に活気溢れる街、発展途上の街である。車窓から見える大連の街並みもたいへんきれいになっている。道も広いし歩道もよく清掃され整備されている。

  道行く人々の服装もたいへんカラフルで、大股でハイヒールを履いて歩いている女性。中山広場前の交差点には、抜群のスタイルの女性のおまわりさんが交通整理をしている。ガイドの楊さんの説明では、容姿端麗、頭脳明晰、顔スタイルは勿論のこと学歴も申し分なく聡明な女性だそうだ。ここ大連は中国一美人の宝庫で、ミスコンの優勝者は大連の女性がほとんどで、それに向けた専門学校も存在すると言う。
  大連の人に聞けば、大連の言葉が標準語で、美人が一番多いと言う。ほとんどの中国で、中国人は「自分が住んでいるところが一番である」と言う。上海人は、上海以外の地域や人を褒めないし、上海が何でも一番だと言う。全て「オラの村が一番だ」と主張する。
  このツアーでも、大連のガイド楊さんは「皆さんが、北京で泊るホテルよりは、ここ大連のスイスホテルの方がいいホテルです」と言う。また北京のガイド李氏は「皆さんが泊られた大連のホテルより、北京のホテルのほうがグレードが高い」と言う。 こういうところが、中国人気質ではないでしょうか?

中山広場前の交差点で交通整理をする女性警察官   端土酒店大連(スイソテル大連)は、立派な素晴らしいホテルであった。ロビーは8階、私の部屋は24階にある。ロビー、エレベータホールも申し分のない広さで、廊下は真っ直ぐで広く、部屋の造りも落ち着いた雰囲気であった。ブロードバンド環境は、電話線を利用すれば快適に繋がる。しかも電話料金も安価であった。テレビはNHKが入る、しかも1chである。大連市長がたいへんな日本贔屓だそうだ。
  窓からは大連駅が真っ正面に見える。日本の統治時代に上野駅の姉妹駅として建てられた駅である。雰囲気は似ている。
  ロビー階にある朝食レストランは、垢抜けしたバイキング形式のレストランであった。ウェイトレスやウェイターの動きがきびきびとしていて、中国語はもちろんのこと、英語と日本語を瞬時に切りかえて応対する様に、ホテルの教育に敬服する。ロシアの影響でパン類はとても美味しい土地柄で、味も申し分ない。コーヒーのおかわりサービスにも、苛立ちは感じさせなかった。

  1993年5月、当時はまだ国営企業が幅を利かせていた。大連機床廠や大連鍛造廠など国営の会社を訪問したが、鋳造加工、木型金型加工、切削加工、組立、検査まで、すべてが一貫生産であった。郷鎮企業と呼ばれる民営的な会社(学校や村で資金を出し合って経営する)が出てきて注目され出した時期でもあった。天安門事件後、「市場経済!市場経済!」に移行していく走りの時だったと記憶する。スカートやスパッツを身につけている女性が、ファッショナブルに見えた時でもあった。
  日本の視察団が来ると言えば、私たちはVIP扱いで、至る所で特別扱いを受けた。北京駅では、並んで待っている大勢の中国人の鋭い目を気にしながら、特別寝台車に乗り込み、瀋陽駅の改札出口では、駅の係員が、中国人たちを押しのけて優先的に通してくれた。それは当然と言えば当然のことで、私たち一行は、中国のそれなりの国営企業や公共機関が招聘し国家が許可した外国人であり、特別待遇は当たり前で、四六時中、国の職員が監視役として随行していた。
  一方、外貨を獲得するための国策はすごいものであったと思う。兌換券を外国人専用の貨幣として渡され、一般のお店では、兌換券で品物を買うことができずに、無下に断られたこともあった。私たちは、決められたレールの上を行列も乱さず歩き、レストランでは決められたコース料理を食べ、みやげもの屋では惜しみもなく兌換券を遣うという、主体性のない「視察付き観光客」であった。
  自らの判断で自由に行動することなどは、帰国する前のわずかな数時間を許されるのみで、ほとんどは、ガイドと称する国家公務員の監督下にあった。
  それから11年が経て、どれだけ中国がスマートになったか、変身を遂げたかであるが・・・。

早朝の公園では太極拳をやっている   直面する国家レベルの問題は、慢性的な電力不足と水不足をどのように解消していくのかである。実際に豊かな生活をしている人口が3億人ほどのときはいいが、生活レベルが上がってくるとどうしても電力と水の消費は増えていく。まだ無電地域の人々が2億人もいるとも言われている。黄河流域の水不足にどう対応し、北京に迫りつつある華北の砂漠化をどうくい止めるかも大きな問題でもある。ダムを建設して灌漑治水事業をし、発電にも寄与、揚子江から北京までの2千キロメートルに及ぶ運河計画も浮上、すぐにでも施策せねばならないことは山積みなのだ。

2.大連のローカル工場と日系企業  −KVK・ヤマタケ

  視察第2日目、午前はローカル工場を2社、午後は日系企業を2社を訪問した。私は、午前の視察を楽しみにしていた。というのは11年ぶりに、チャオ氏に会うことができるからだ。11年前、貴紙の中国視察に参加した際、チャオ氏が、瀋陽と大連の工場を案内してくださった。当時は、貿易商社に勤める30前の若き商社マンであったが、今は独立し、工場などを持つ貿易商社を経営しているという。
  昨夜、一緒に食事をする予定であったが、ちょうど第二子が産まれたとのことで来られなかった。「一人っ子政策」の中国ではあるが、どうしても欲しい家族は、チャオ氏のように罰金を払う覚悟で、頑張る夫婦も存在するのだ。実際にどれくらいの金額の罰金が課せられるかは、判らないと言われる。
  チャオ氏の案内で訪問したローカル工場は、プラスチック成形の工場とバルブや鋳物部品の工場の2社であった。人海戦術での生産は納得できるが、ただただ生産をするだけで、それぞれの加工に粗雑さがみられた。バルブ工場では、日本でも見るブランドの素材や加工品があって非常に興味深く視察することができた。
  プラスチック成形の製品にしても鋳物の製品にしても、簡単な部材においては、日本の市場で通用できるのではないかと判断できたが、工程におけるチェック項目をすべて書き出して、特に検査手順のポイントなどを綿密に打ち合わせすることが必要であると思った。日本向け100%ということだが、実際には、検査の厳しい日本には、素材や部品などはまだいけそうであるが、完成品や金型の輸出はまだまだ無理なように感じる。
  気がかりなところをあげるとすれば、バルブの水圧検査機は、油圧作動の門型挟込み式の検査設備ではなく、手動式の古い型であった。バルブを検査機の上に乗せ、ボルトで止め、エアー圧をかけて検査をする簡単なもので、非効率なものであった。「バルブ検査も必要があればできますよ」といった感じで、人件費が日本の20分の1であっても、1台ずつ取付けて本体検査と弁漏れ検査をしているとは考えられない。
  また金型工場では、マイクロメータ等の測定工具の検査設備が整っていないのは、検査は下請けに出していると言われる。企業分業制が進みつつある中国産業界ではあるが、材質成分検査を試験場に依頼するのは判るが、寸法検査を外注するのは理解出来ない。

2人一組のモールディング作業(北村閥門)  昼食後、日系企業がたくさん集まっている経済技術開発区にある2社を訪問した。まず、大連北村閥門は、こちらに進出してきて14年になり、完全に軌道に乗っている印象を受けた。単水栓をはじめ混合水栓、レバー付水栓を製造する。本社工場のKVKと大連KVKの連携がうまくいっていて、99%を日本へ輸出している。わずか1%が中国国内向けだそうだ。
  鋳物工場は、整理整頓が十分にされていて、鋳込や成型もフル回転操業のようでした。モールディングマシーンは、1人1台ではなく、常時2人が付いていた。1人が型を込め終えると、次の者が型込めを始める。非常に効率よく考えられたシステムであると感じた。切削加工場でも、不良品が発見されると、その場で不良品をピックアップし、以後ラインには流さない基本的な考え方が浸透されていた。
  どのラインの説明者も同様のことを説明されるので、その点が管理ポイントであると理解できた。中国では、不良品であると判ってもそのまま加工を施したり、組み立てる際、部品が余った場合、平気でその部品を隠したり捨てたりしてしまう。その反対に、足らない場合は、そのまま組み立てずにほったらかしにして、といったことが日常茶飯事であると聞いたことがある。しかも言い訳けや他人のせいにすることは、中国ではごく当たり前のことだそうだ。
  KVK大連でも、そんな経験を経てここまでの企業に育てられたことは、敬服してしまう。社員同士のおしゃべりもなく、日本の工場をそのまま移転してきたような錯覚を覚えた。

大連山武儀表の工場外観  同じ開発区にある山武儀表は、大連で生産を開始して9年になる。中国国内向けが15%、輸出が85%。中国向けは完成品での販売で、主に日系ユーザーへ納入している。いずれは現地法人への販売も考えている。日本向けは半製品での出荷が多い。生産は、工業自動化向けの自動バルブ、建築用自動バルブ、スイッチが柱。工場は、加工組立工場のみで、素材の鋳造工場はない。外注の鋳物工場から入ってきた減圧弁の本体も受入検査待ちの状況であった。加工するバルブの品種が多く、少数ロットにも対応できる技術レベルの高いベテランワーカーが見受けられた。KVKさんと全く路線が異なるイメージであった。
  一般に中国の北の人のほうが真面目な人が多く、鋳物も北の方が信頼できるそうだ。深川にも山武の工場があって、横の連絡があってのことなのか、一般論でそのような結論づけるのは、少々危険な判断だと感じた。

  マイクロバスでの移動中は、必ずガイドさんは説明することになっているらしい。大連の郊外には、高層アパートが建設中である。海水浴場の近くには、横浜のインターコンチネンタルによく似たリゾートホテルも建設中だ。大連は非常に住みやすいと言われるが、冬の寒さは厳しいらしい。海産物は新鮮で美味しいし、農産物も旬のものを食べることができる。
建設中のリゾートホテルと高層アパート  郊外の道路の脇には、籠やバケツに「さくらんぼ」を入れて、農家の人たちが列になって並んでいる。座っている人もいるし、呼び込みをしている人もいる。一家総出で「さくらんぼ」を売っているのだ。
  農家の生活レベルは、都会ほどには向上していないイメージを受ける。夕方になればリヤカーにいっぱい野菜を積んで街へ売りに行く姿も幾度となく見る光景である。かつては、収穫物を満載して馬車で運んでいる情景も懐かしく思い出されるが、都会化されるにつれ、農業に従事する若者も少なくなってきているのでしょうか?

  夜、ガイドブックに必ず載っている天天漁港というレストランで食事をした。海鮮料理が主体で日本語も通じる。確かにあっさりとしていて魚がたいへん美味しい。お昼、お世話になったチャオ氏も同席していただいた。
  視察も慣れてきた私たちは、ガイドの李氏、チャオ氏も一緒に全員でラウンジへ行くことになった。11年前は、日本式のラウンジやスナックなどは全くなく、お酒やウィスキーを飲むなら、一流ホテルのバーラウンジしかなかった。今、ホステスのいるラウンジに来ることができる。大連も変わったものだ。
  私の隣にチャオ氏が座り、私はあの時と同じ曲「乾杯」を唄った。当時の写真を1枚だけ持ってきたが、お互い太めになった姿に一喜一憂し、時空を超えて再会できた有難さを改めて噛み締めていた。

 


3.霧の街、大連  −三菱電機・富士工具

  視察第3日目、朝カーテンを開けると、窓一面「霧」であった。真正面に見えた大連駅がうすくかすんで見えにくい。そのうち晴れるだろうと思い、朝食を摂ることにした。きょうは和食にすることにした。
  全くの和風レストランで、私は鰆の定食を注文した。味噌汁は久しぶりで美味しくいただくことができた。ごはんや小鉢に少々難を感じたが中国でこれだけの和食が食べられることは有難く、満足した朝ごはんであった。

女性の肩に初心者マークが付いている(三菱電機)   午前中、訪問した三菱電機は、安心して見学できる工場であった。すべて日本の工場を見てるようで、素晴らしく管理が行き届いた工場であった。ブレーカーなどの配電機器、インバータ、NC装置、サーボアンプ、放電加工機などを生産する。
   放電加工機の工場では、部材に日本の部材がたくさん使用されていた。見慣れたバルブや継手が付いている。おそらく現地調達ではなく、生産計画によって輸入されているのでしょう。日本から円滑に部材が入って来るならば生産に支障をきたさないが、ここは中国、当局の管理のサジ加減で左右されることも考えられる。その辺りは、中国のやり方で対処していく必要もあるように思う。

  日本式のやり方をそのまま中国へ持ってきて、ワーカーだけを中国人にして、いわゆる人件費の大幅な削減をしたところで、結局はお金を目的とした、中国進出である。使われるワーカー達も心得たもので、給料が少しでも高いところへ移ることに抵抗感は全くない。中国進出の目的が、そのあたりで不明瞭になっていて、進出はしたけれど、ということになりかねない。
  日本企業は、おしなべて真面目である。良い商品を作ろう、世の中のお客さんに喜んでもらおうと会社を経営しているところが多い。お金儲けだけを掲げて経営をしているところは、まずないと思う。しかしながら最近は、目的と手段が交錯してしまって、手段のために一生懸命になって、お金儲けが目的のようになっている会社も見うけられる。
  経営とは、そもそも何だろうか。我が社の経営は、世の中の人々にお役に立つことを目的とし、その会社で働いている人々を育てることを目的とする。というのが大きな柱で、経営をしていく上で一番大切であると私は確信している。
大連富士工具のCADセンター   そこで、中国進出する会社は、安価な賃金の中国人を求めるのではなく、文化の違いはあっても隣国の中国で「人を育てる」ということを目的にすれば、日本と中国のいい所を見い出し、結集した知恵が発揮され、豊かな発想に基づく企業経営ができるのではないかと思う。

  昼ご飯は、大連のシンボルのひとつであるテレビ塔の展望レストランでの食事となった。当初の思惑では、大連市外や大連港を一望に見渡し、素晴らしい景色に感動するところであったが、パラノマ展望すべて「霧」「霧」「霧」。開店休業といった具合だ。20卓あるテーブルに私たち10人とその関係者だけ。ウェイトレスやウェイターの数の方が多いくらいだ。実に寂しい限りだ。

  大連富士工具は、中国式の古い工場を改良した赤レンガ作りの工場で、特殊ツーリング、刃物、加工冶具を生産する。内装は明るく、CADのコンピュータは44台、日本製126台、中国製127台の旋盤機械など効率的にマシーンの配置や整理整頓がなされていた。設計図面は日本の富士精工からの指示書に基づき、ほとんど大連でドローイングをしているとのこと。年間4千枚にも及ぶ。高賃金の日本の技術者よりも若いやる気溢れる中国人にやってもらうほうが、日本語の勉強にもなると言われる。皆どのワーカーも真剣に仕事に取り組んでいる姿が印象的でした。
  96年に国営の大連機床グループから工場ごと社員を引き継ぎ、物作りは当たり前のこと、考え方や取り組み方を教えるのには相当な根気と熱意が要っただろうと思われる。こんな素晴らしい会社に仕立て上げた先輩の皆さんに敬服します。

火造のための炉(大連富士工具)   ゆっくりと工場見学させてもらったが、いっこうに霧が晴れる様子はない、私たちは質問もそこそこに、空港へ向かうことにした。マイクロバスの中で、私たちはめいめいに、マイクロバスをチャーターして北京まで走るという案や、汽車で行きましょうとか、天津まで飛びバスで北京へ、明朝一番の飛行機で北京へ行くなど、言わせておけば、勝手にどこまでも膨らんでしまう。

  ガイドの李氏の顔つきが厳しくなった。私たちの搭乗する便が、北京を離陸したと連絡を受けたときは、ホッと安堵したが、大連に到着したとしても、折り返し北京へ飛ぶのではなかった。国際便に転じ、福岡へ飛び、福岡を出発して、再び大連に着いての話であり、スムーズに行っても、大連出発が夜の11時になってしまう。果たして福岡に着いても、空港の時間制限を突いて福岡を出発できる保証はない。
  李氏の言葉が、早口になった。幸いにも旅行社の力と李さんの粘りで、14:00発の北京行にもぐり込むことができた。便は遅れているがほぼ当初予定したスケジュールになって、18:30 霧の大連空港を後にした。

  離陸すると、上空は夏の夕陽を浴びる雲のじゅうたんであった。かみなり雲がキノコのように生えているところもあって、下は雷雨模様であると想像ができた。下界をよそにエアーチャイナのCA1608便 A600は快適に北京へ飛んで行く。

  一人っ子政策が1979年から始まり、その緩和策も出されているが、ほとんどの若い中国人は兄弟がいない。兄、弟、姉、妹の感覚がなく、両親も祖父母も子供を甘やかす家庭環境は、中国全土に拡がっている。高齢となったおばあさんが、孫を抱く姿はある程度は微笑ましく感ずるものだが、今の中国は違う。
  6、7歳の子供が甘えておばあさんに抱っこをねだり、おばあさんもそれを受け入れるといった光景を見かけた。しかも子供は最近中国でもよく見かけるようになった肥満児である。実に情けない姿である。中国の将来は、このまま行けば必ず内部から崩壊するように思われる。決して手強い存在ではないことは確信できる。
  今回の視察ツアーに合流するために、私はひとり上海から大連へ飛行機で移動したが、隣の席に座った中国人は、たまたまマナー乏しい若い男性であった。落ち着きがなく新聞を大きく広げて読むし、身体はふつうではあるが、足を広げて我が物顔で座る。本当に非常識な人物であった。これをそのまま一人っ子政策の弊害に結びつけることは、たいへん極端な話ではあるが、次の世代の中国は、そんなに脅威ではないことは確かである。
  北京空港に無事着いたが、雷雨で空港ビルまでのリムジンにも乗れないほどの大粒の雨、時折稲光も見える。さあー、今晩泊まる崑崙飯店まではわずか1時間足らずである。疲れがドッと出てきそうである。

4.整備された大きな首都  −北一大隈・中国機床工具工業会

  何といっても、中国の中心は北京で、天安門広場と故宮である。北京の街は、ここを中心にして拡がっている。初めて「中国に来た」という実感は、この天安門広場に立って、故宮博物院を見たときであった。19年前この広場で感動した。今も、毛沢東の巨大な肖像写真が掲げられている。
  政治レベルにおいては、毛沢東は反共産主義者を撲滅し巨大な国の中国を平定し、文化大革命の後、ケ小平が改革開放政策に転じて、日中国交正常化、高い経済成長を維持して目覚しい発展を続けた。その後の江沢民の政策は、一転して反日主義を掲げ南京虐殺の記念館を建てた。そして現在の胡錦董は、アメリカ寄りの政策を重要視しながら、台湾という仮装敵を作る政策を展開している。台湾の独立や軍備に対しては、断固抵抗し反対し、米国にも強く要求する姿勢を明確にしている。
北一大隈の小型のマシニングセンター   ところが経済レベルでは、中国大陸の工場と台湾の商社経由で、商売をしている日本の企業も多く存在している。実際、上海などで開催される国際展示会を見ても、日本や韓国の企業も出展していて、それらに劣らず台湾企業もたくさん展示しているのが実情だ。中には台湾に対して非常に嫌がる大陸の中国人もたくさん見受けられるが、台湾人や台湾企業をパートナーとしてやっている連中も大勢存在するのである。
  同じ中国人の血の流れであるゆえに、微妙で且つ難解な距離間を保ってお付き合いをするのが賢明であると思う。

  朝、1階のバイキング式のレストランでゆっくりと食事をした。昨夜、インターネット接続ができなかったので、ビジネスセンターに申し出て、LAN接続を可能にしてもらった。ブロードバンド費用1日50元、3日間で150元。

  視察第4日目、北一大隈機床を訪問した。昨年、北京第一機床廠とオークマとの合弁で作られた工場で、NC旋盤、マシニングセンターを生産。将来は北京第一機床グループはすべてこの敷地に移転してくる予定である。
  従来のサプライヤーの質は良くなく、10社と取引していたが今は2社に減っている。質のいいところは自動車関係に集中し、機械メーカーとは取引は好んでしてくれないのが実情である。中国政府との約束で、日本と同じ精度のものは製造しないことになっていて、中国型番には、Rの文字を入れてある。このような約束を厳しく守っているのは日本企業だけと思われる。
  進出の目的はオークマブランドの浸透であるが、設立後は、中国政府からの利益追求も厳しい。日本のオークマからの輸入は月間30台程度で関税が17%かかるので高価なものとなっている。中国では台湾製の工作機械が最大のライバルである。
  合弁の経緯は知るすべもないが、中国側も国営のお荷物をどこに押しつけようかと色々模索したあげくオークマに落ち着いたのでしょう。オークマも大きな厄介な買い物をしたものだ。国営企業の社員をそのまま引き継いでの経営はたいへんだろうと思われる。沿岸の地方都市なら少々のヤンチャはできても、中央北京のしかも超一流とされた第一機床廠ではプライドも高く、かなり根気と熱意をもって対処する覚悟がいるのではないでしょうか。厳しくかつ斬新なマニュアルを作り、まずは古い体質を拭い去ることが大切でしょう。

  中国は、聖人と崇められる孔子をはじめ、たくさんの哲学者や思想家を生んだ。子曰く、「朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや・・・」などの論語は私たち日本人の心の中に残っている。しかし、ここしばらくは、毛沢東思想は学んでも、孔子や孟子も教えを学ぶ子供たちは非常に少ないし、大人たちも論語を心の指針とはしていないようだ。大人たちは、極端な個人主義で、損得しか考えない、心が荒んだ世界になっている。
  その加減かどうか、今の中国は、都市に人が集まってくるシステムになっているそうだ。だから田舎には働き手になる人が不足しているとも聞く。内陸から都市に出てくる人たちは、3年間の猶予しかなく、3年経てば、強制的に田舎に帰ることになる。
北京駅(11年前よりきれいになった)  どんどん若い働き手が都市に集まってくるので、企業側は、初任給のみの5千円を用意すればこと足りる。田舎に住む人は7、8億人いるわけだから、永遠にワーカーを5千円で雇うことができるという仕組みである。年収7千円以下が、今だに8億人も居るというのは本当であろうか?農民と教育にメスを入れれば、すごい中国の実態が浮かび上がってくるのではないでしょうか?

  昼は、故宮の一画、中山公園の中にある中華料理店でご飯を食べた。入口に東今雨軒と掲げてあった。胃が疲れぎみなので、軽いものを少しだけにしておいた。
  掛け軸が部屋の壁に飾ってあり、流暢な日本語でひとつひとつ説明をして、買うように勧める。1階にはみやげもの屋があって、掛け軸、硯、筆などが売られていた。ガイドの李氏は国立の信頼のできる店です、と紹介をしていたが、溥儀云々の誰かが書いた掛け軸と言われても、私自身は興味がなく見るだけにしておいた。

  昼からは、中国機床工具工業協会を訪問した。設立15年で会員は1600社。統計、標準化管理、教育、中国工具年鑑の発行、中国機床工具報、中国国際機床展覧会等の開催が主たる活動である。
中国機床工具工業協会にて(後列左から2番目が筆者)   中国は2002年以降、世界最大の機械輸入国となり、マシニングセンターやNC旋盤の導入が進んでいる。輸入先は日本、台湾、ドイツと3カ国で7、8割を占める。2003年も需要は上昇しており、受注数283万台、NC旋盤やMCの割合が急増している。中国の現場も、ここ1、2年高精度の加工を必要としていることが、顕著に数字に表れている。

  今日の視察予定は、終了したが、ガイドの李氏の案内で崑崙飯店近くの全国農業展覧館に立ち寄った。中国の農業事情についての資料館かなと思いきや、お茶を飲ませてくれ、いろいろな銘茶を勧めるみやげもの屋であった。私たち10人が、日本語の達者な女性の説明員を囲んで、お茶の説明を聞きながら、様々なお茶を飲ませてくれる。ウーロン茶、ジャスミン茶などセットにしていくら、と本当に巧みな話術を展開する。私はただただ感心するだけで、ここでも何も買わず見るだけで満足していた。

 


5.第6回中国国際機械装備展覧会  −家楽福・家世界

  視察第5日目、ホテルの崑崙飯店からマイクロバスで近くの中国国際展覧中心へ出向いた。早速登録手続きを行い、入場ゲートをくぐった。入場証のバーコードをスキャンする方式を採用していた。
第6回中国国際機械装備展覧会(中国国際展覧中心)  1号館から8号館まである大きな国際フェアであった。大連で訪問した富士工具・富士精工や昨日の北一大隈・オークマも展示されていた。11年前に視察したCIMT(中国国際機床展覧会)と双璧をなす展示会で、出展者は816社となっている。私は、専門外の業界でもあるが、ひょっとすれば管材関係のブースはあるかどうか探したが、工作機械関連ばかりなので、商経の舟橋氏と同行し、ノウハウをいろいろ教えていただきながら会場内を視察した。
  私たち4人は、万里の長城の観光組とは別行動、市内のホームセンターなどを散策することにした。

  まず手始めに、展示会場の横の家楽福(=カルフール)に行くことにした。今晩の打ち上げの用意のために、買出しをすることにした。
  ショルダーバッグをコインロッカーに預け、缶ビールやコーラ、つまみ、生活用品、CDなど、比較的自由に時間をかけて買いものをした。半袖ワイシャツが140円、男性用下着が5着140円など値段を確かめながら、物色しながら楽しく中国生活を体験した。「これやったら百円均一で売れるはずや」「この価格は1着500円で十分ペイできる」など、生(なま)の中国は新鮮に感じた。
  さて、買い物を済ませてロッカーにバッグを取りに行ったとき、ロッカーのガードマンに「ニーシーハンクオレンマ(あなたは韓国人か?)」と聞かれた。気持ち的には無視をしていたが、後でよく考えて見ると、こんなことをするのは韓国人がよくすることで、こんなことをするのは日本人ではない、と思われているということだ。スーパーマーケットでどっさり買うのは、普通の日本人観光客はしないものなのだ。

家世界2階のレストランのウェイトレスはローラースケートを履いている   一旦、ホテルに荷物を置き、今度はホームセンターに行くことにした。小さなタクシーであったが、4人乗って北京市街の東南の方向にある「家世界」へ向かった。タクシー代26元を要した。
  先に食事をすることになった。ちょうどホームセンターの2階に、ファミリーレストランがあった。食堂というのは理解できるが、注文の仕方が判らない。若いアルバイトの女の子に言って「チェーゴ、チェーゴ」と料理見本を指差してオーダーをする始末。活け作りもしてくれるらしく、魚はもちろんのこと、蛙も網の中に入っていた。はじめは右往左往したが、中国通のベテラン舟橋氏が一緒であったので、心強かった。
  家族連れが多く、親子3人もいるし、そこにおじいちゃんとおばあちゃんも来ている家族もいる。私たちのような4人連れはいない。料理5品とビール3本を頼んで、代金は148元。中華料理は安くつくものだ。

  ホームセンター(家世界)の作りは、上海のそれとあまり変わりななかったが、大型店舗で、バスタブ、トイレ、洗面台、エアコン、錠前、ドアノブ、配管材料などが展示してあって、壁掛け松下エアコンは、廉価販売(1830元)されていた。工具やメジャー、懐中電灯などの小物も売られていて、3mの巻尺が50円弱で売られていた。
  中国のマンションは、共有部分まで平米に入っていて、内装は購入者が自分で施工することになっている。つまり裸渡しになっている。だから、自分でバスタブなど買ってきて、内装の設備業者に提供するのが普通だそうだ。上海には衛生空調や家具内装などの常設の展示場があって、TOTO、INAX、三栄など展示されているのを見たことがある。
上海の宜山路にある住設衛生陶器の常設展示場   都市の総合力で1位にランクされる上海は、実に大らかな印象を受ける。何でも受入れてくれる感じである。コンビニエンスストアやスーパーマーケット、ホームセンターは年々増殖している。日本のファミリーマートやローソンは至るところで見かける。24時間営業で価格表示もしてあり、安心して購入ができる。
  しかしながら、ここ北京ではコンビニやホームセンターの数が非常に少なく感じる。何でも受入れるというイメージよりは、古い体質をそのまま引き摺っていて11年前、19年前とはそんなに変化しているようには見えにくい。道路幅が広く建物が密集していないから、そのように感ずるのかもしれない。

  タクシーで前門まで出て、雑踏を歩くことにした。露天商の顔つき、店先の主人の顔つきも、ふくよかな印象を受ける。目も輝いている。以前商店街を歩いたときは、もう少し痩せていて顔色も黒い感じを受けた。どことなく目も沈んだイメージであった。
  土曜日ということで、人通りも多い。やっぱり活気がある。いくらでも人間が湧いてくるといった感じである。人口は日本の10倍、すごい迫力を感ずる。
  前門から和平門まで民家が密集している細い道(胡同=フートン)を歩いた。簡易舗装が施してあるだけで、時折、単車や自動車が通る。共同便所の厠所の臭いも印象的だ。往来に出て団扇を仰ぐ老人、雑貨屋の前で語り合う老婆、福の文字を逆さまにして表門に張ってある。まさしく中国を体感することができた。
  歩いた胡同に面していたかどうかは確かめていないが、北京の人がよく住んでいる四合院(=スーハーユエン)は、最近は取り壊し高層アパートに建替えつつあると言う。2008年のオリンピック開催に向け、致しかたないところでしょう。

前門の商店街   観光組の皆さんと合流して、有名な全聚徳でツアーの最後の晩餐となった。北京ダックの料理だ。この視察を振り返って、皆さんとの意見交換が始まった。観光組とホームセンター組の見聞きしたことも話し合い、中国での見聞の成果にそれなりに満足していた。明日は帰路に着けるという安堵感のとなりに充実感もあった。
  このツアーの功労者は、何においても、ガイドの李氏の粘りで、霧の中北京へ出航できたことである。実に天晴れであった!

  案の定、マイクロバスに乗るまで追いかけられ、ハンカチ5枚千円、10枚千円と物売りが付き纏う。20年も前から、私たち日本人団体客に対する接し方が全然変っていない。そんな体質が信じられないところである。売る気ならば、はじめからベストプライスで提供すればいい。相手がお腹いっぱいのところに、さあー食え、美味しいと言われてもそんな気は起こらないのが普通である。
  中国思想には、お金持ちは貧乏な人に施すという考えがあり、日本の「おみやげ文化」は健在ではあろうが、北京五輪の備えて、追いかける物売りの輩たちは一掃したほうがいいのではないでしょうか?


6.中国とのお付き合い  −商材を探る

  視察第6日目、朝は時間的に余裕があったが、胃がもたれているようなので、朝食は食べないことにした。チェックアウトを済ませて、1階のソファーで座って待っていた。ガイドの李氏に、お礼を込めて、日本で買った「中国語の本」をプレゼントしたら、とても喜んでくださった。

  マイクロバスに乗り込み、車窓から北京の街を追いながら、この数日間の事柄を反芻してみる。昨年から何回となく訪問している上海や今回の視察した大連、北京を比べてみる。

大連機床廠ブースでの筆者(国際機械装備展)  1人で上海へ出張したときは、そんなに規制されているとは感じなかったし、中国も開けたなという印象を受けていた。しかし、団体旅行になると一変した。団体である私たちの立場が非常に弱い立場になってしまっている。
  ふつうレストランでは「お客様はこちらです」と案内するのが普通ではあるが、「日本人はあっちの部屋、○○部屋」という声はよく聞いた。もちろん、中国語で言っていた。 彼らの頭には、まず日本人があって、だからここの部屋、だから別扱い、だから料理はこのコースでいい。という底流に決められたものがある。自分らの好きな料理を頼んで見る楽しみを疎外しているようにも思う。実際の庶民の食べているものは何なのか?昼ごはんは、極端な話、ラーメンと餃子とご飯で十分である。日本の団体客は、この形式でいくという所謂「かたち」にハメられ、その上を歩いてもらうことにする。他に考える余地は与えないのが、中国式のやり方かもしれない。
  特に北京に来てからストレスと疲れが溜まり、一昨日くらいからかなり参ってしまった のは、こういうことが原因かもしれない。

  物売り撃退方法(その1)団体でいるときは、その場でじっとして逃げずに何も応えず、腕を組んで、そいつの目を睨みつける。すると怖じ気づいて去っていくことになる。付き纏うときは、止まって振り返りそいつを睨みつければいい。(その2)1人で観光地を歩いていると、「ニーシーリーベンレンマ(あなたは日本人か)」などと声を掛けてくるポン引きは多く見かける。「ワカイ、シャオチエ、イルヨ」「イイコ、イルヨ」などと声は聞こえるが、全くの無視をすることにしている。かえって声を発すると、付き纏ってくる。実際に1人で、固い顔をして歩いているほうが、物売りを撃退するのは簡単なのかもしれない。

  北京空港のチェックインカウンターは、たいへんな人で、大勢が並んでいた。受付スタッフの裁量によって流れる速度が異なるので、私たち乗客は苛立ちを感じはじめていたが、出国手続を済ませ、ゲートまで行くと、搭乗案内がされていた。CA927便 B737は、定刻9:20に北京空港を離陸した。

松下のエアコンが廉売価格(家世界のホームセンター)  12億の人々が質素で清貧な暮らしをしていたのが、急に普通の暮らしを始めたら、消費財が追いつかなくなるのは、当たり前で、食糧、石油、水、電力が不足して当然のこと。予告もなく電気は供給できなくなり、大停電が起きるのも不思議ではない。
  大型プロジェクトを海外から持ってくるにしても、技術も資金も機械もすべて持ってきてください。中国は場所を提供します。必要ならば人も出します。と言うが、あまりにも虫のいい話である。
  昨年、中国は独自開発の有人人工衛星の打ち上げが成功して、先進国の仲間入りをした。アメリカを意識しての政治的牽制であると言われているが、もはやODA援助をすることは、国際常識から見て滑稽なことだ。

  ちぐはぐな進展をしていく中国である。働く人たちは、お金を求めて、次から次へと転職していく。以前と同じ物を作ってくださいと要求しても、また一から始めないといけないことになる。社会保険も整っていない。とにかく都会へいけばなんとかなる、という輩が多く、定職には就いたけども、アルバイト扱いで、住むところにも困る。そんな労働条件だから仕事も身に入らない。常に安い労働者は、田舎からやってくるシステムになっていて、労働者層は使い捨てになっている。
  北京、大連にしても、また上海にしても、スナックやラウンジに勤めるホステスは、地方出身者が非常に多い。その街に住んでいるのは、大学生や専門学校生で下宿をしているにすぎない。貧富の差が極端になってきては、ますます地方から出てきて水商売で荒稼ぎをする小姐が夜の世界で暗躍することになる。普通のワーカーが一ヶ月働いて、千元稼ぐところ、一晩の飲み代が2千元以上払うとなれば、自ずと小姐の心も動いてしまうことになる。一方では、生産財や消費財をせっせと生産し、また片方では「金の亡者」を生産していることになる。

  これからの産業界で中国の存在を無視することは、不可能なことであろう。なんらかの接点の選択肢はたくさんあるが、日本製の商品をそのまま持って行き、製造部門として中国の工場で製造することは、管理面や価値観で隔たりがあるように思う。単品で製品になる部材であれば、具現化は早いように思う。ジャパン・トレンドを中国に浸透させる方法よりも、チャイナ・トレンドをどのように育てるかに切り替えて取り組むときではないでしょうか。
  売ったほうが悪いのではなく、買ったほうが悪い。粗悪な製品を納得して買ったのだから、売ったほうには責任がない、という考え方がいまだにまかり通っている。
  今、扱っている商品を具体化するのではなく、中国の豊富な人材とエリート頭脳を生かせる、全く異なる別の商材開発をすることも視野に入れて中国とお付き合いをすればいいのではないだろうか。(完)



(あとがき) 一緒に同行された皆様に心から敬意を表し感謝いたします。また、貴紙中部支局の舟橋氏をはじめスタッフの方々、ご愛読くださいました皆様に、心からお礼申しあげます。謝謝。
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