プロボノ・フォーラム2010大阪 に参加して
素晴らしい思い、着想で、NPO事業などに取組めるのは、たいへんいいことです。大阪でもプロボノが、うまく着地できればと思いますが、少々ネガティブな面を数点、挙げてみます。
1)ある意味NPO事業やプロボノが、ファッション感覚で捉えられているような印象も受けました。ボランティアの新しい形としての純粋さではなく、流行りそうだからやってみよう、出会いを求めてやってみよう、興味をそそりそうだから・・・保守的な大阪人からみれば、生半可な気持ちで取り組んでも、イイモノは出来ないよ。という気もしないではなかった。
2)現在の職場環境では、仕事以外の出会いが少なく、同世代、世代間のコミュニケーションに飢えているという世相を感じました。自分の住んでいる地域には、身近なボランティア活動が、必ずあるはずなのに、なぜ、仕事を絡ませて、大義名分をかざせてボランティアと称して、活動するのか、という疑問を感じました。
3)プロジェクトが5〜6人のグループで、期間は半年、という縛りが、なぜあるのか?NPOや非営利組織からの要望があった場合、すぐに提供できる事柄は、プロボノではないのか?という素朴な疑問。最近、地域との関り合いを経営方針に掲げる企業も増えています。その事業所が存在する地域での、近所のお付き合いでの関り(専門的関与も含む)では、だめなのか?素人集団が、あれやこれやと意見を出し合い、コミュニティーを形成していくところに、ボランティアの価値があると思います。
4)正直な話、業界や地域の垣根が高く、着地は難しいのではないかと思う。企画書やスケジュールという感覚が、大阪には弱いのではないかと思います。とにかく、やってみよう。それから考えて、また軌道修正をやって、やってみる。という体験型の人間が多いように感じます。プロボノに属して専門スキルを持つ人たちが企画され実施されたところで、それは一過性の出来事で、一緒になってずっとやっていくスタッフではありません。NPO・非営利組織にしても、事業や行事を一緒にあれやこれやと言いながら進めていくところに、ボランティア活動の楽しみが存在すると思います。
私の疑問:なぜ、専門スキルを必要とするのか?
取組むプロジェクトが、専門スキルを持った5、6人、期間6ヶ月でという縛りがなぜあるのか、が理解できません。1人の専門スタッフで十分出来る場合もあるし、2週間でできる内容もあるはずです。会社によっては、地域との関りを経営方針の重要な要素としている企業もあって、祭りやイベントには積極的に協力して、企画の段階から参画しているところもあります。その辺りの事象が、本来目指す姿ではないだろうかと思います。
大阪では、ざっくばらんな関係が好まれます。お高く止まっているのは毛嫌いされ、はじめから相手にされません。専門スキルを持って指導されるのは、たいへん結構な話ですが、ボランティア活動の枠で物事を捉えることが、大切です。
会社組織と違い、ボランティアは利害関係がありませんので、気に入らないことがあれば次の会合からは出て来られないことが多いのです。会長だから、委員長だからと言って、統率力は不要です。専門知識もあまり要りません。一番必要なのは、収拾力と決断力、それと忍耐力です。皆さんの意見や不平を聞く役(決して口外はしない)、意見が出きった頃合いをみて「これで行きましょう」という決断ができることです。
会社では3ヶ月で結果が見えてくる内容であっても、ボランティア団体では、1〜2年かかります。相当な忍耐が要ります。せっかちな人は無理ですネ。知識も豊富にあって、強烈なリーダーシップでぐいぐい引っ張っていくと、本人は活気が満ち溢れて頑張っていますが、後ろを見たら誰も付いて来ていないこともあります。参加者のほとんどの方々が話題にするまで、しばらく放置しておくことも時には必要です。だから、決めたことも、遅れがちになります。
専門スキルを必要とするNPO・非営利団体側のニーズは、どういったものかをもう少し実態を調査する必要があるように思います。出発点が、空想的な発想で、人間社会をないがしろにしたネットワークのように感ずる。本来、人間社会はすこぶるローカルで、地域コミュニティーを大切にした社会で、日本では隣組があった。その原点を活かしてのプロボノであって欲しいのですが、ある仕掛けに乗ったボランティアをしたいという人たちが作ったプロボノという気がしてならない。ファッション感覚での参加?のように感ずる。21世紀の新しい時代を担うプロボノ?、社会貢献をするプロボノ?は、かえって地域社会組織を破壊するように思う。(2010.10.5)
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