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<講演会メモ> 誇りある日本をつくるために

*------- 田母神俊雄氏の講演メモに、自ら加筆し、まとめたレポート

1.日本は朝鮮を植民地化したのではない
 米マッカーサーは大統領になれる地位にいたが、自らは太平洋戦線であったため、欧州戦線のアイゼンハワーにその椅子を取られた格好になったが、フリーメーソン33階層の最高位に居る大御所である。
 第二次世界大戦後、米マッカーサー元帥の統治下、20万人もの役人が公職を追われた。 表向きはレッドパージと言われ、共産党追放であったが、本当はそうではなく、国益派の 役人を追い出して、その後釜に、アカのレッテルを貼られ投獄されていた連中を国家公務員として迎えたのだ。いずれ日本の左傾化のための土壌を作っておくためだ。また政治面で、強烈な左を置くことにより、暴走させないようにさせるためである。
 自民党の結党理念は第一に憲法改正を唱えており、日本社会党は護憲を唱える。形の上で、全く辻褄が合わない。保守が憲法改正、革新が護憲というのは、どう見てもおかしい。
 「日本は朝鮮を植民地化した」と私たちの頭には刷り込まれているが、本当は併合である。日本人と同様に教育するチャンスを朝鮮民族にも与え、軍隊の幹部士官にも登用した。東京帝国大学をはじめ、東北大、京都大、金沢大、熊本大の次に、大阪大、名古屋大よりも前に、京城(ソウル)、台北に帝国大学を作った。日本は日本のやり方で、朝鮮を統治し、台湾を統治した。
 朝鮮は、清国(中国)の植民地になるか、帝政ロシアと一緒になるか、それとも日本か、という選択を迫られ、それならば、日本が一番良かろうということで、朝鮮政府、時の李政権が決断を下し、日本も、そういうことならば、日韓併合という形で快く迎えたのである。一切の派兵をしていないし、侵略もしていない。
 そして、日本と朝鮮は、併合を国家レベルで推奨するために、李王朝の李垠(イウン)殿下と日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下との婚姻をまとめ、殿下を皇軍の中将として迎え、旧プリンスホテルの館がその住まいとなった。
 日本が朝鮮や台湾にした施策は、西欧の白人達が有色人種にした愚民化政策は一切していない。戦後、米マッカーサーをはじめ戦勝国が作った歴史観が、教科書に載り、所謂、日本民族に対しての、遠大な長期愚民化政策が始まったのである。

2.歴史観をはじめ、あらゆる情報戦争に、今も負けている
 日本は、戦前戦後を通じて、今も情報戦争には、完全に負けている。情報を外国に流して、外交を有利に運ばせることはしないし、専門的に海外の情報を得る機関はないに等しい。しかしながら、日本は情報天国と言われている。国策としてのプロパガンダという言葉も無くしてしまったのは、嘆かわしい。
 南京大虐殺という事件は、完全なるでっち上げで捏造されたものである。当時は中華民国の首都で、蒋介石が中国国民党の総統であった。各国のメディアや新聞社の支局もたくさん存在したが、日本軍が中国人を殺したという事件は一切扱っていないし、当時、南京の人口は、20数万人であって、どうして30万人も虐殺ができるのであろうか?アメリカ軍が、長崎、広島に投下した原子爆弾での被害者に匹敵する数字を作り上げる必要があったのだ。
 この数字は、ヒットラーのドイツ軍がやったとされるアウシュビッツの600万の数字の5%にも満たないが、このアウシュビッツの600万もウソ偽りである。わずか2年間の占領期間にどうして600万人も殺せようか。一日1万人をガス室で殺して、死体を処分することは可能でしょうか?阪神大震災で亡くなられた方が5,000人。その倍の人間が毎日同じ場所で処刑されることは、時間的にも空間的にも不可能である。
 ロシア革命(1917年)後のモスクワの勢いは、凄まじいもので、世界の先進国に仲間入りをする。ソ連のスターリンは、中国大陸をアカ化(共産化)するために、共産軍で頭角を顕してきた毛沢東と国民党の蒋介石とを戦わせ、さらに毛沢東に援助・援軍を送り、蒋介石を失脚させて、支那大陸を共産化させるよう、目論んだ。蒋介石を暗殺することは、スターリンにとっては、いとも簡単なことであったが、英チャーチルからストップがかかった。  日本軍と国民党軍を戦わせたほうが、将来的には有利であると、西欧白人は判断した。本来、アジアをさらに植民地化をして、西欧列強がアジアを利用し、富を吸い上げる計画であったが、日本がロシアに勝ち、日英同盟を結び、日本は一筋縄では、攻略できないぞ、と感じていたときであった。
 どうしても日本に打撃を与えて置きたいし、世界に共通理解として日本を悪者にする必要があった。当時の日本は、支那に軍を配備することは、得策とは考えずに、どちらかと言えば、中国侵略には消極的であった。
 日華事変は盧溝橋で起こった(1937.7.7)とされているが、この事件も中国共産軍からの発砲であり、日本はその誘いには、乗らなかった。乗れなかったのだ。僅か5,600人の軍隊で戦争を仕掛けるバカが居るのもオカシイ。
 通州事件(1937.7.29)という歴史事実があるが、これは日本の歴史から抹殺されている。中国のテロ集団というよりソ連のコミンテルン(アカ化スパイの連中)は、通州に住むわずか420人の日本人家族のうち230人を殺すという、日本軍誘導をした事件である。
 これを契機に、日本は我慢が出来ず軍隊を上海に配備し(8.15)、警戒にあたることになります。
 紀元2600年の近衛内閣時に、日本は支那から南へ進軍することになる。これはまさしく、近衛文麿の暴走、判断ミスであった。そそのかされてその決断をしたことになる。ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲは近衛の側近であったというより、スターリンの見張り番で、人質として、近衛の息子はソ連のスターリンに預けられていた。
 近衛自身は、公私ともに縛られた格好になってしまい、密かに日本を共産化するように誘惑を受けていた。近衛は戦後、自ら自害することになる。
 一方、アメリカのF・ルーズベルト大統領の取巻きにも、ソ連コミンテルンのスパイが300人以上居た。ルーズベルトは大統領演説で、戦争には参戦しないと明言していたために、ヨーロッパにもアジアにも、派兵はしていなかった。そこで考え出したのが、日本軍による真珠湾奇襲攻撃であった。
 ソ連のコミンテルンによってお膳立てされ、日本軍はそのシナリオに添って演じたまでのこと。結局、真珠湾攻撃を受けたのち、アメリカは対日はもちろんのこと、ヨーロッパ戦線に借り出され、太平洋戦争へと日本は突き進んでいくことになる。
 スターリン(ソ)、チャーチル(英)、ルーズベルト(米)の3氏で、1945年2月4〜11日に戦後処理に至る話し合い(ヤルタ会談)を持っていた。ところが、ルーズベルトはしばらく(4月12日)して変死をし、副大統領のトルーマンが昇格し大統領に就任した。
 ルーズベルトの死は、謎を呼んでいるが、一説には、対日戦争で原子爆弾の使用に難色を示したから暗殺されたのではないかと言われている。広島と長崎に落した原爆は、種類が異なるゆえ、人体実験と言われている。
 日本が昭和20年8月に敗戦した。占領軍アメリカによる「日本弱体化工作」が9月から始まった。その一つに「焚書」がある。日本の施策や歴史について、事実・真実であっても日本側にとっていいと思われるものは、全部処分した。初等教育でも天皇の記述などには墨を入れられた。
 言うまでもなく、日々の公文書や新聞報道にも、極秘機関で検閲が行われた。当時の給料が1,000円程度であったのが、月3万円もの大金が払われ、一切口外は禁止された。それを暴いた朝日新聞は、2日間発刊停止処分を受けた。
 現代の常識は、戦勝国アメリカをはじめとする連合国が作り上げた歴史観である。正義の味方はアメリカ、独裁軍事国家は日本、戦前の日本は悪というレッテルは、真っ赤なウソである。

3.日本の政治家
 日本の政治家には、親中派と親米派はいる。国益派の政治家は非常に少なくなっている。 菅直人は、北朝鮮の拉致を実行した辛光洙(シン・ガンス)釈放要望書に署名したし、国旗国歌法制定に反対を投じた。鳩山内閣発足時の副総理就任会見の時には、日章旗には礼をしなかった一人である。釈放の署名した国会議員は、村山富市元総理、土井たか子元衆院議長らを含む133人だった。
 菅総理は、日本のことを思っているようには全く見えない。言うだけである。菅原道真の末裔と自称しているが、菅は「韓」であって、祖母が韓国の斎州島出身という噂もある。斎州島出身と言えば小沢一郎と繋がってくる(小沢の母親は斎州島の出?)。菅には、日本にある韓国バーに女がいて、子供もいるという週刊誌の記事は、本当であろう。
 鳩山は、国際会議で「唯一の被爆国だから日本だけが核を持つ権利がある。今、核を保有している国は、即刻、核廃絶をしていただきたい。」と言えば良かった。そうすれば、 日本も核を持つかも知れないという世界認識になるのだ。鳩山は祖父の一郎の時代からフリーメーソンのメンバーで、孫の由紀夫もそれを継いでいる。だから東アジア共同体なる宇宙人的発言をするのだ。
 東アジアが一緒になるということは、経済活動が許せる範囲で、同じくらいにならなければ、出来ない。日本経済を今の3分の1にして、韓国を2分の1にすれば、中国と同じくらいになって、北朝鮮を三国で面倒みれば、共同体ができる可能性はある。
 だから、民主党の誰が首相になっても、経済施策には一切、手を着けないばかりか、税金の徴収を増やして、ますます国民を貧困化し、教育レベルも下げ、要するに西欧が日本にしようとした愚民化政策を完結させるのが、民主党に課せられた使命なのである。  70年代後半から80年にかけ、日本と西ドイツが経済の脅威となった。日本と西独の経済が世界を牛耳ったのを契機に、西ドイツと日本の亡国へシナリオが開始される。
 ベルリンの壁が崩壊=東西冷戦の終焉とともに、統一ドイツがスタート。しかし経済においては、東ドイツというお荷物が、西ドイツにのしかかってくる。
 中曽根の時代は高度成長であった。徐々に円高になって行く。360円固定の為替相場が、280円→250円→200円→180円、外国製品を買いましょうという運動まで出てきた。内需拡大を唱え、日本は経済に酔いしれた。そしてバブル。
 そのバブル崩壊後、90年代に入り、日米欧委員会のメンバーであった宮澤喜一が首相になると、赤字国債を発行し、親米政治を行なった。
 宮澤以降は、アメリカから毎年200ページにも及ぶ年次改革要望書を突きつけられ、 日本はその通りに法律や条例を変更して、アメリカに合うように国の構造やしくみを変えていく時代に入る。所謂、規制緩和である。これも規制緩和はいいことだと宣伝された。
 アメリカに抵抗する内閣や総理大臣には、為替を操作され円高円安、株を高下されて揺さぶられ、村山政権の時には、80円を突破、70円台まで円は急騰した。マスコミを煽り宣伝をされて、叩かれて失脚することになってしまう。橋本、小渕、安倍、中川など、日本への思いが高い政治家、国益派の政治家は、やっつけられることになる。今、一番信頼の出来る国益派の政治家は、平沼赳夫氏であろう。

4.経済活動しか出来なかったツケ
 「国際化、国際化」「世界標準」と唱えられ、JIS規格が態を潜め、ISOに移行していったのもその頃からの話である。談合はダメ、すべて競争入札、会社の経営環境は、 規制緩和による法令に縛られ、従来の商法はなくなって、新たな会社法が制定。  会社は株主のものという風潮が浸透してきた。以前の株主は、資産も株と言えど、永い目で会社を応援する株主であったが、アメリカ式になってからは、すぐに結果を出さねばならないという結果主義に、会社の体質が変ってきた。世の中が殺伐となってきたのは、そのためである。
 アメリカの組織がすべていいと言うのは、悪の権化で、沖縄に駐留するアメリカ軍が日本を守るというのは、本当とは思えない。2ヶ月間は大統領命で軍隊を動かすことはできるが、それ以降は、議会の決議が必要になる。議会が「ノー」と言えばそれまで!
 「アメリカが日本を守ってやるから、カネを出せ!言うことを聞け」という論法で、日本を攻めたてる。北朝鮮が、「日本は決して攻撃をして来ないから、いい加減に対応しておけ」という態度もうなずける。
 近々アメリカは、ミサイル攻撃に備えるために「軍備を拡充せよ」と言ってくるはずである。北朝鮮は、恫喝、脅しにミサイルを海に向かって撃つだけで、20発も30発も何発も撃ってくるはずがない。しかしながら、アメリカは日本に態勢を強化せよと言う。これは、アメリカの軍需産業振興のためである。
 日本も国産の戦闘機を作ればいい。三菱のMRJという小型ジェット機は性能が抜群で あるにも拘わらず、軍需には力を入れないし、手を出せない領域になっている。アメリカの軍備が、最新型で、日本や韓国の軍備は、古い軍備である。イイモノは我が国、ちょっと前の、性能が落ちるのは日本と韓国の同盟国に配備となる。
 アメリカは、大事なことは秘密で交渉しましょうと持ちかけてくる。その話にのると 無茶苦茶な法外な金額(税金)を、アメリカに渡してしまうことになる。
 日本には素晴らしい「教育勅語」が存在した。明治天皇が自ら、日本国民たる者はこうあるべきだと記したものだ。この教育勅語は、外国語にも訳され、その国に合うように改廃されている。たとえば宗教の項が追加されたりして、基礎教育の手本となっている。 (2010.6.17)

参 考
[教育勅語]

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其コヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日  御名御璽


[現代口語訳]

 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

明治二十三年十月三十日