還暦を迎える年になって、いろいろと脳裏を錯綜する。あれもやってみたい。あの本を読んでみたい。あそこへ行ってみたい、と思う。しかし、人生の四分の三を生きてきて、これは俺の生き方には合わない。この生き様はしたくない。など自分の人生観が定まってきたこともある。
それゆえに、自ら思想に限界線を引いて、行動範囲が狭くなってきているように感ずる。振り子の反対側には行かずに、いつも見ている情景の中で暮している。こちら側の振り子の世界だけで生きてこれたことは、幸せ者でたいへん感謝すべきことで、この年になって反対側に振れてみることに怖れているのかも知れぬ。また、わがままと面倒くささで、若い時の懐かしさを引き摺っている。
我が人生に、一番邪魔をしてきたものは何か、と考えると、それは右肩上がりの経済成長の時代に生きたことであり、目標を定めて生きて行くことに馴れてしまったことだ。学校に通っていた時は、進学を目指して目標に邁進し、社会に出ると高度成長の時代背景に影響を受け売上至上主義に感化された。「大きいことはいいことだ」という風潮もあり、日本社会は高度成長に浮かれてしまった。
ところが最近、その高度成長がもたらしたものが、結局は、家庭崩壊の芽を育て、家族の絆の大切さを忘れさせてしまった。出世のため、会社のために働くことが美徳とされ、辞令により単身赴任を余儀なくされたことだ。経済大国と引き換えに、日本の家族が犠牲となってしまったのではないでしょうか。私たち日本国民は、人生で何が大切なのかという、基軸が狂ってしまった。
本来、家族は一緒に住むことが基本です。東京に出て働くことも一つのやり方でしょうが、育った街や村で、働いて、「世の中のためになる」ことが、人生ではないかと思う。家族が一緒に暮すことが一番の良い生活である。ブランド品に囲まれセレブの生活をすることは見ていて滑稽で、猿まねに思える。欧州の仕掛人はアジアのお金を吸い上げる手段にブランド品をエサに使っていることを、ご存知なのでしょうか。
さて、目標を掲げて人生を歩むやり方は、ある程度は起爆剤となって、進むことができるが、成し遂げられなかったときは、当然のことながら挫折を経験する。仮想的にライバルを想定して、さらなる努力を重ねて、目標を目指すことも可能である。今のフィギアの浅田真央選手がその心境かもしれない。そして次の大会で金メダルを取得して、成功を修めたとしたら、その偉業は立派であるし、称えられることだと思う。
ところが、達成後に次の目標が見えないとすれば、本人にとっては悲劇の始まりとなる。いつまで続くかわからない、致命的な、脱力感、停滞感に陥いることになる。無理に次の目標を見つけて、進めたとしても、さらに次、また次となる。人間の能力には限界がないということを言われる先生もいらっしゃるが、それが人生の幸福を掴む方法なのか、大いに疑問に思うところだ。結局は不幸な結末になるのではないだろうか。一方、他人の心を掻き立てて一役を買って出る。そんなビジネスを創り出し、希望を抱かせたり、不安に陥れたりして、コーチ業やコンサルタント業をする。正直、あまりいい職業とは思わない。
目標を追い続けることよりも、己の能力を知り、目標を捨てることのほうが難しいしハードルも高い。「夢」は、寝ているときに見るもので、正気の人間は夢は追わないものだと思うし、かつての夢の続きをもう一度見ようとはしないものだ。
人生には、いろんな誘惑が転がっている。色恋や金銭などの短絡的な誘惑ではなく、自分の中に潜む病魔である。それは、自尊心と虚栄心と優越感である。自分が可愛いし、俺はあいつよりは偉いと思う。他人に良く見られたい、エエカッコしたい。そう思うのは人間としてごく当たり前のこととは思うが、冷ややかに少し横から見ると、何にこだわっていたのかと愧かしくなってくる。ややもすると、魔物−欲の連鎖−を追いかけることにもなりかねない。 欲深き人の心と降る雪は、積もるにつけて道を忘るる。
一人で静かに自分の心を反芻してみることが大切だ。自尊心と虚栄心、そして優越感は、人の心を、知らず知らずのうちに蝕んでくる。それら三つは、人生の癌と言っても過言ではない。
人間は、誰しも自尊心を持っているのが、当たり前のこと、虚栄心も時には持つのも自然だ。優越感に浸りたいことも最も人間らしいことだ。自分が比べられていると思うから、優越感が生まれ、劣等感が生まれる。それらは人間特有の弱みである。
それゆえに他人の自尊心、虚栄心、優越感と劣等感を刺激し、それをうまく利害的に活用したりする輩も出没することになる。人前で「どうだ!」「おまえの・・・は、なんだ!」という最低の人間も見かける。そういう人間は、全くと言っていいほど信用はできない。心が病んでいるからだ。「イザッ」という時は、頼りにならず、真っ先に逃げるズルい奴である。
自尊心とは、それは自分だけの固有の大切な秘密の代物と思う。そして、自尊心を振り回さないことは、賢人の知恵であると思う。他人の自尊心を傷つけることはしない。自分の自尊心は外へ出さない、自慢話なんぞはしないことだ。自尊心を振り回すことに喜びを感じる人間は、どうしようもない。重い重い病気である。他人の振る舞いが気になる人間には、必ず虚栄心が生まれ、優越感か劣等感につながる。3つの癌が、時には相乗して心の中にはびこるのだ。決して鎮まることはない。
他人のことや自分の自尊心を意識しなくなれば、虚栄心の発生も鎮火する傾向になるし、優越感や劣等感がバカらしくなってくる。他人の自慢話がバカに見えるし、他人のプライドが見えてくる。他人のプライドが見えると、その人間のこだわりが見えてくる。
そこまで見えると、他人が何をしようと、周囲の人間が気にならなくなる。何が大切か、陰日向の区別なく、ただただ人生を歩んでいくことが、肝要である。
他人のプライドを傷をつけ、自分のプライドを見せびらかす。こんな人間は、最低の人間である。「私の弱点はここですよ」と表明し自ら墓穴を掘っていることになる。(2010.3.23)
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