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どん底を跳ね返す勇気と力
 
  人生という大海原を航海する上で、何回かの大きなうねりがあって、常に自らの船はどこにいるか、どっちの方向に進んでいるか、今の天候はどうかを船長は判断せねばならないことがある。順風満帆に航海しているときは、船長は不要であり、休息をしておればいいし、好きなことをしておればうまくいく。ところが、いつまでも晴れているわけではない。雲行きがおかしくなってきたときや、エンジンの調子がおかしいこともある。羅針盤が壊れるときもある。
  自分の位置が判らなくなって、自分が向いている方向を正しいと思い込んでしまうことがある。焦りや感情が邪魔をしてるのでしょう。元の出発地から冷静になって一つ一つ復習していけば、簡単に十分に理解できるのが、逆回転の世界に吸い込まれていく。
  幸い私の今までの人生では、うねりは少なからずあったと思う。船団を縮少したこともあったし、沈没の危機も体験はした。しかしながらその危機に直面するときには、応援をしてくださる人に巡りあえていたことである。人の道とでもいうのでしょうか、遠まわりであっても地道に人生を送っていれば「道は開けてくる」ということでしょうか。自分がそう感じて、そう思うからこそ、ますます道が開けていくのでしょうか。
  反対に自信喪失になって、閉ざされていると思い込んでしまうと、見るものすべてが否定的に映ってしまうものである。犯罪者の心理状態はそんなものかもしれない。最近起こった小学校での死傷事件の犯人もそうである。自分にとって悪いことは、すべて他人のせいにして、自分を正統化する。何かが重大な事柄に遭うと自ら情緒が不安定になってしまい、自然に回避する方向に動いてしまうものだが、思い切って胸を借りるつもりで、ぶつかっていけば何らかの解決策は見つかるはずである。ところが、そうすべきだと頭で解っていても、意地やこだわりがあって、今さら甘えることができないし、頭を下げることができないと、別の自分が、理解しようとしている自分を説得しはじめる。自分で自分を追い込んでしまうのである。その時の頭のほとんどは「俺が、俺が・・」という思考が極限に達した情態であろうと思われる。全く余裕がないのである。当然のことながら他人の意見などを受け入れる余裕はない。目の前の現象も解らなくなって負回転のスパイラルに入ってしまう。このスパイラルからの抜け道はどうしたらいいのでしょうか?
  小学校のときに親から教えられ、先生からも教えられたことに道徳教育がある。人として生きていく上で大切なこと。親孝行をするとか、挨拶をするとか・・・。ごく普通のことだが「人の道」を教えてくださったと思う。小学校教育には掃除があって、授業参観や研究授業など学校行事が行われる前や長期休暇の前には必ず大掃除があった。ごく当たり前のことを先生に教わった。
  ふと壮年になった自分を見つめるとき、自分が今まで生きて来れたことに感謝する。そして、自らが自らの力で生きてきたのではなく、世間の皆さんに生かされているのだということに、深く深く感謝する。会社を存続するにも仕入先や得意先の皆さんから無視されれば、経営が出来なくなってくる。朝から電話やFAXが一本も掛かってこないとき、人は不安になり、生きた心地がしない。今までに応対や接客に不備があったことを恥ずかしく思う。自分の力を過信して、世の中が自分の思う通りに動くんだと錯覚して傲慢な過去の自分を見たとき、恥ずかしく思う。
  自分を冷静に見つめ、ごく当たり前のことを体験し、策を講じずに地道に生きておれば、結果はついてくると確信する。(2001.6)