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二番手の教え

   私が中学校の時、定期試験でクラス一番になったとき、子供心に、褒めてほしかったことを覚えているが、祖父のことばは違っていた。「後から追いかけられるだけやな、二番になれよ」と言われた。「一番の奴はこれくらいの点数を採るだろう、三番手の奴はこれぐらいだから、という計算をして、二番になる。それが難しいんや」と付け加えた。  確かに、がむしゃらに勉強でもすれば、義務教育のうちでは、そこそこの結果は残せると思うし、一番は採れると思う。しかし、祖父は余力を残して、二番を目指せというのである。
 その理由や真意はわからなかったが、人生を歩んでいく上の「知恵」であることが分かってきた。トップになるというのは、まずトップの器を備えていることが、必要になる。
 会社の経営においての社長の存在、また業界においては牽引役となるトップ企業の役割は、数字や実績だけでなく、一種の風格というか奥深いものがある。
 さまざまな会の長にしても、組織活動においてもヘッドの存在は、たいへん大きい。金も要るし、気配りも要る。その点二番手は、気が楽である。責任という二文字からは免れるし、後を付いていけばいいだけである。競輪などでの先頭には相当の負担がかかる。二番手は風をまともに受けないので、体力的にも非常に有利である。
 トップともなれば、言いたいこと、したいことができなくなる。金銭面や体力面では二番手のほうが得であり、責任がないだけに、気楽である。しかし、それはトップになった良さ、トップの役得などを考えた末の答えであろうか?
 では、トップになったときのメリットは何であろうか?商売上で考えて見ることにしよう。
 ある会社が5、6社の仕入先と取引きしている。取引高の多い順にA、B、C、D、Eとランク付けをする。A社はダントツの取引額で、全体の40〜50%を占める。B社は平均20〜25%で、高々30%まで。C社は15%前後のシェアーである。D社、E社は月々の取引きはあっても、ごく僅か5〜10%まである。
 このような条件下では、金額面以外では、どのような取引き、お付き合いになるでしょうか?
 まず、A社は、その得意先から見てメインの仕入先であるので、担当者だけでなく、役付け(部長、社長)まで、時々顔を出す。ゴルフや飲み会などの接待も年2回。社内外の動きの情報は、早く入ってくるし、個人的なお付き合いも、当然のことながら、太くなってくる。売上は上昇し、シェアーも常に50%以上を確保できるようになる。A社にとっても、上ランクのお客様になる。しかしながら、いいことばかりではない。売りも多ければ返ってくる返品の処理も多く、担当補佐も必要になる場合もある。親しくなれば、親しくなったで、なあーなあーになってしまうこともある。「架空伝票をあげてくれないか」「裏金作りに手を貸してくれないか」など嫌なことでも無理を聞かねばならない。また、景気のよい時はいいが、景気が悪くなり、売り買い以外のお付き合いを自粛すれば、以前より増して何か寂しい冷たい感じがしてしまう。メインはメインなりに、お付き合いを継続して行かねば、メインの座を保つことは、難しいものなのだ。
 ところが、B、C社の場合はどうでしょうか?A社が前に居るのだから、うっとうしく思う人も居るだろうけれども、ナンバーワンでないだけ、A社を見ておればそれで事が足りる。冠婚葬祭の金額にしても、少な目で十分だし、ゴルフのお付き合いにしても忘れない程度か、しなくても良い。まして、経営内容が悪くなって「うわさ」でも出たときには、「さー」と退くことができる。A社はそうはいかない。どちらかといえば、応援する方に回らざるを得ない。商品の単価を比べても、当然、A社よりは、少しは高く買ってもらうことができる。
 しかしながら、A社とは違って、受注数は小口になる。大手企業が関与している大口の話はB社以下には回ってこない。せいぜいそれらの仕事の間に合わせ程度の取引きでロットは非常に少ない。大口ではないだけに、粗利率では少しはいい数字ではあるが、取引額では、相当の開きは出てくる。営業一人当りの売上も倍以上の隔たりがある。
 一方、A社は売上規模や業界での位置付けなどは、屈指の優良中堅企業となっている。生え抜きの役員に加えて、仕入先のメーカーなどから社員を迎え、社長を取り巻く布陣は充実してくる。オーナー経営者と言えど、うかうかしてられない。油断は禁物である。経営手腕がなければ、大手企業の系列に「入る、入らない」の誘惑、そして攻防、調略の日々が続くことになる。
 実際に、同業卸業者でトップと自称する会社は、このほど株式公開をする。借金も雪だるま式に膨れあがるとよく聞くが、会社もそこそこになると、意に反して歯止めが効かずに大きくなってしまうのでしょう。オーナー一族で堅実に、かつ気楽気ままに経営しておれば、それで十分なものを、都銀や大手企業から役員を迎えておれば、株式公開にまで膨れてしまうのは自然な流れかもしれません。中小企業は、零細であっても、中堅であってもてオーナー一族で代々続いての「家業」であると思う。自分自身の手腕、お家の財力を理解して、ある一定の規模以上になりかけたときは、縮小できる勇気と決断が必要かと思います。
 トップのシェアを不動のものにした時は、プライスリーダーでもあり、取引上でのリーダーでもあり、所謂優等生の会社でなければ、世間は許さないのが常である。ところが、一旦、トップになれば競合他社の規範とはならず、社長や社員に至るまで、知らず知らずのうちに「おごり」や「傲慢さ」が、社外に出てしまって、周りの人間は、引きづり降ろそうとする。「ねたみ」「嫉妬」「ゴシップ」「スキャンダル」「陰謀」などが見え隠れする。
 トップの座の快感、優越感に浸っていようと思う余り、焦りも出てくるし、冷静には判断できない。追われる立場の不安との戦いが始まる。同業者が何百とあって、頂点に立てるのは、ただ一社である。同業者の間で羨望の的になり、嘲笑の餌食になってしまうようにも思える。
 これは、自分自身の生き方の選択であり、トップを目指して努力することはいいことだと思う。優勝するんだ。必ず勝つ。という意気込みは素晴らしく純粋な気持ちだと思う。問題は、トップになった以降の身の処し方、トップの座のすわり方なのです。
 どんな組織であっても、(差し障りのない集団であれば、構わないが)トップを目指すのは、もってのほかである。また、「お宅は、超一流で・・・、家柄も・・・」などと、はやし立てられて、「ご満悦」では困ってしまう。自分の境遇、器、能力など自分というものを理解することから、取り組むことが大切だと思う。
 この場合は、D、E社の実績では、営業担当が怠慢ではあるが、商売では、B社かC社で十分である。また、その方が、お付き合いが永く続くのである。
 業界トップ誇る売上やサービスや店舗数など数値目標を掲げる某薬局チェーンもあったが、世の中が高度成長期のときは、時代にマッチしており、いいと思うが、今現在の成熟した時代では、数値目標を前面に出して、シェアートップを目指すのは、非常に滑稽であると思う。進んで行けば、壁にぶつかると判っているのに、全力発進するようなもののように思える。
 実生活での買い物では、どうでしょうか?
 百貨店や大きな専門店の店頭やウィンドウで品物を研究し、実際に買うのは、アフターサービスのいいところか、メーカーがしっかりしていれば、適度に安くて信用できる店で買うでしょう。金融品がごろごろしているような、「めちゃ安」の店では、買いにくいでしょう。
 結局は、買う側にとっては、そのお店がどれだけ売上をしてようが、店舗数が何店あろうが、全国展開していても、関係がない。自分の生活テリトリーに存在していて、便利で、何かしら相性が合っている雰囲気が、大切な要素なのである。
 商売や経営は、規模や売上高、納税金額での評価ではなく、お客様との関係が自然でかつ対等で、いい品物を、適正な価格で、ご提供できるか。世の中の皆様にいかにお役に立てるかが、最も大切なことだと確信しています。(1997.11.4)