仕事を進める上で、個人的な感情や人情、義理を、同じの土俵の上で判断をすると、まとまらなくなってくる。「世話になったから・・・」「よくやっている」など仕事上での決断を迫られているときに、感情や義理や恩のことを、知らず知らずのうちに思いめぐらしている場合がある。たとえば、部下を評価するとき「あいつの将来点を大きく見た」「部下としてよく言うことをしてくれる。いい奴だ」とかの個人的な感情が、多々評価や仕事上で入る場合がある。仕事の成果や実績は横に置いて、自分にとってあいつは都合のいい奴だから、と評価をしているときがある。
部下の機嫌とりをやっていれば、その組織はいったいどうなっていくのでしょう
か。反対に部下が上司の機嫌とりをしていることもある、むしろ可能性は高い。
仕事は結果論である。野球や相撲などのスポーツ界では、すべて結果論である。「あいつはよく練習をしたし、チームのリーダーとして・・・」と誉めたところで、勝負の世界で負ければ、もうそれまで。仕事は、すべて結果論の世界である。適正価格で見積っていても、受注しなければ、何もならない。その仕事に費やした時間、費用は全くの無駄となる。
そこで無駄とは思いたくないのが、人情である。次回の布石となって「次は我社に」という約束をもらった。物事には段階があるなどと営業は自分を慰め、言い訳ぎみに報告をするが、次回の受注の件は、契約書を取り交わしておれば、まだ許せるが、相手が断る口実をそのまま鵜呑みにしていることがよくあることだ。なるほど、仕事で忙しくしていたことは、よく理解できる。しかしながら、結果という数字がゼロであれば、その人物の評価はゼロとなる。次回の布石を築いたといっても、答えが出なければ、仕事上での判断は、「していない」のと同じです。
社のトップや管理職が部下の意見を尊重して、会社の経営方針そのものが、部下
の意見を束ねたものであったなら、その会社はいったいどうなるでしょうか。
おかしな集団社会ができあがります。まとまりのない放任集団、責任転嫁が横行し、肩書きだけの役職名、実力権限のない役員・・・というふうな会社が出来上がります。そんな会社であれば、将来性がありますでしょうか。
まず社のトップは、自らのビジョンを明確にして経営方針を発表し、役員、管理職共々経営計画を立案することが重要です。そして、その経営計画に添って日々の業務を遂行していくことが会社経営の基本であります。
「あれだけやったのに、上司が評価してくれない、だからやる気がしない」というのは、部下が言う評価は、査定ほどの評価ではなく、上司が自分のやった仕事を分かっているかどうかの信号を送っているにすぎない。その部下の仕事に対する接し方心構えが貧弱なのは否めないが、「俺はこれだけ苦労をしたんだ。なんか一言あっても・・・」というデモンストレーションと解釈したほうが、気はやすまる。
つまるところ、仕事というのは、結果でしか判断されないものと覚悟して、精一杯するしかないのです。「残念だったなぁ。よくやってくれたが、注文をもらわないことには、なんにもならんよ。仕事は結果だよ」という一言ねぎらいのことばと、仕事のあり方を教えておくと、申し分ない。(1995.7 管材新聞掲載)
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