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デジタルとアナログ

  この夏、20数年使っていたレコードプレイヤーをとうとう処分することになった。大学時代に購入して、一度部品を取り寄せて交換し、部品の供給がなくなったあとも騙しだまし使っていた代物だ。ついひと月前にも、交換針を買ったばかりで現役でまだ音は鳴るが、ついに新しいプレイヤーを買い求め世代交代をした。
 CD(コンパクトディスク)と出会った時、澄んだきれいな音だなと心がときめいた。自分のお気に入りのレコードがCD化されないかミナミ、キタのかつてのレコード店を探し回ってもみた。自分の青春の思い出がCD化されていると、思わず買う衝動にかられたものだ。でも何かが違う。同じデザインのものがコンパクトに納められているのに、何かが違う。「このCDだ」と思うものに巡り逢ったときの感動があっても、感動が短かく思えるのだ。
 レコードをターンテーブルにのせ、針をそっと置く。「ボッー」というスピーカ音。溝に針がおさまり、A面の一曲目のイントロが聞こえて来る。どうもCDでは、その感動がない。テーブルにディスクをのせて、ボタンを推してテーブルクローズ。そしてスタートボタンを押すと何秒か後に音が聞こえる。レコードでは聴こうとする曲によってカートリッジを交換したり、針圧や回転スピードを調整したりできるが・・。CDでは、聴く側にとっての都合はいっさいの余地はない。アンプのボリューム調整がMaxになっていると、鼓膜が破裂する恐れさえある。
 雑音もない。小さくてすむ。少々のほこりはデジタルだからあまり影響はなく、読み取ってくれる。難をいえば、ジャケットが小さすぎる。一時はレコードより優ると思っていたが、どうも心の満足感はレコードのほうがずっとからいい。よく聴いているレコードがすり減ってきて、ジャケットの端がまるくなったり折れたりしている−ごく自然だと思う。スリ傷がついていてノイズが入っても、一緒に時を過ごしたという、捨てがたい愛着を感ずるのはレコードの特権だと思ってしまう。
 ところでレコードを聴いていて落ち着くのは、育った年代が原因ではなく、どうもアナログとデジタルの違いから生じてくるのではないかと思う。CDの場合はコンピュータと同じでデジタル信号で音が保存されている。それをアナログ信号に変換して出力する。レコードはアナログで保存されているので、そのまま増幅して音になる。どうもそこのところに、秘密があるようだ。レコードできれいな曲を聴いていると、眠たくなって実に気持ちがいい。ゆったりした暖かさを感じる。CDでは「きれいな曲だ」という感覚はあっても、それ以上はない。かえってだんだん目が冴えてくるような気がする。
 実際に同じ曲を聴きくらべてみても、CDのほうが音はきれいで澄んではいるが、バイオリン・ソロのピアニッシモの部分や、フォルテの部分などはレコードのほうが伸びがあるし、スピーカーが震えて臨場感が伝わってくる。ロックのベース音に関しても張りがあって甘さを感じるのは、アナログとデジタルの先入観があるからだろうか。
 「何でも新しいものは良い」「便利になった」と言われても、趣味の世界には通用しない。電気のない時代が到来したとき、レコードであれば、手でターンテーブルを回して、細い針みたいなものがあれば、小さな音は聞こえるかもしれないが、CDでは0と1の数字が羅列してあるだけの円盤で、何をしても音は出ないと思う。
(1996.9管材新聞掲載)