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国際化って、なに?

 国際化って一体何だろうと思うときがある。先進諸国に比べて日本はおかしい国だという評論家や経済学者がいる。西欧先進国の平均値をそのまま、日本のデータと比べてみて日本は特異な国だと言う。そもそも、一国を他の国の平均と比較し分析することが、ナンセンスで間違っている。
 この世の中にふつうの平均値を目標として進んでいく人がいるだろうか。日本という生徒は95点を取った。となりのクラスの平均が65点だったとする。「日本君、となりのクラスの平均は65点だから、次回からは65点を目標に頑張ろう」そんなバカな話はない。ところが、こんな話が国際化、日本は変な国だということばにすり替えられて、まかり通っている。
 文化も歴史も民族も教育も異なる国を比べることそのものが、むしろ滑稽である。西欧ではこうです。と事実を伝えることは構わないが、西欧に見習って「もっと・・・すべき」と言うのは、もっと滑稽である。
 外国へ進出していった企業の中で成功している企業は少ない。空洞化して外へ行かざるを得ない状況であっても、何も海外の為にお金や時間を費やすことはない。国内で生きるすべを見つけ出すことが今一番経営者に求められる手腕であり、つまるところ最良の選択になるのではないか。
 三年前に満州を訪問したときに大連の貿易商社の方が言っていたことを思い出す。「中国は今までに西欧の列強や日本やロシアの統治下にあったこともありますが、結局、それらの国はこの中国から出ていくのです。香港もしかり、文化的な遺産や産業の技術を置き去りにして・・」まさにその中国人の言ったことは的確だ。
 そもそも日本という民族は、日本列島から外へ出ようとすると大きな打撃を被ってしまうのではないかと思う。第二次世界大戦でも、大東亜の開放と平和を目的としていても、やっぱり日本本土へ戻ってしまう。
 バブル崩壊前に、ソニーや松下はアメリカの映画会社を買収し、日本の企業はアメリカの土地を全部買ってしまうのではないかとまで言われた。三菱もニューヨークのロックフェラービルを購入した。まさに破竹の勢いであった。ところが九〇年二月以降日本企業はジャパンパッシングに遭い撤退せざるえない状況に追い込まれてしまった。
 このバブル崩壊が、ちょうど50年前の第二次世界大戦のミッドウェーの海戦にあたるのではないかと考えてみるとおもしろい。その海戦以降、日本は苦戦を強いられ、硫黄島陥落、沖縄上陸、原子爆弾投下、敗戦と追い込まれてしまう。経済戦争が世界市場でまだまだ続くならば、もう既に敗色は明確で、いくらあがいても、もがいても日本経済は立ち上がれないのではないかと思う。「日本よ、お前たちは世界で活躍してはだめなんだよ」という声がどこからか聞こえてきそうだ。
 苦しい時には冷静な判断ができないときがある。人件費や物価が安価な海外からの誘いもある。いずれ日本がそれらの国々に足元をすくわれる恐れも十分に考えられる。遠かろうが近かろうが将来、彼らにやっつけられるのであれば、なぜそいつらのプラスになることを情報として与えるのかが合点がいかない。
 日本が苦労して先進国から盗んで育てた技術を、いとも簡単に発展途上国に提供して、手とり足とり教えるのはいくら平和を愛する日本とはいえ、人が良すぎるのではないか。ボーダレス、国際化とはやし立てられて調子にのるのも考えものである。何も日本人の魂や文化まで国際化させることはない。(1995.6管材新聞掲載)